アジア大陸、ロシア極東、沿海州を北東から南西に向かって、
ムラビヨフ・アムールスキー半島はピョートル大帝湾の中央部に
東のウスリー湾と西のアムール湾に大きく二分しながら突き出している。
その半島の先端にウラジオストクの街があって、
街は金角湾(GOLDEN HORN INLET)によってシコト半島とチュルキン岬にと二分されている。
街の南西の方角に海峡を挟んで大きなルスキー島が見える。
その海峡の名は、東のボスポラス海峡という名だ。金角湾にしても、東のボスポス海峡にしても、
ビザンチン帝国の首都イスタンブールからの連想だろう。
ルスキー島はウラジオストク街全体とほぼ同じ大きさだ。
島は小さな入り江が無数にあり、11時のいちから5時の位置まで
島を貫通するようにNOVIK INLETという名の深い入り江がある。ここは1992年まで、
ソ連太平洋艦隊の拠点であり、要塞になっていた。
外国人はおろか、軍関係者以外、立ち入り禁止だった場所だ。
今ではそんな歴史の面影はなく、NOVIK INLETの奥深くに放置され
さびついた軍艦の残骸を観光客が見に行けるぐらい自由だ。
下の写真はウラジオストク市街からルスキー島に向かう途中金角湾から東のボスポラス海峡にでたところ。
ルスキー島のNOVIK INLETという名の深い入り江の奥深くに、軍艦の残骸が放置されている。
人影もなく、不気味な場所だった。オイルフェンスが張ってあり、
近づけないので手こぎボートに乗り込み、ギーコ、ギーコとオールをきしませ近づいた。
ルスキーの南西にある小島、ポポフ島。島には人影がまったくなかった。
廃墟を撮影していると、調子の悪いバイクの音がしだいに近づいてきた。
若い男の子と少年がサイドカーに乗ってやってきた。
カメラの横でUターンをしたら、エンストした。僕は写真を撮らせてと言った。
兄の名はセルゲイ、弟の名はビタリといった。
廃船で遊ぶ、ウラジオストクからやってきた中学生たちだ。
9月の海は、天気が悪いこんな日でも暑くはないが、まだまだ水遊びのシーズンだ。
このマストの上から少年は飛び込んだ。
下の写真は上の写真の子供ではない。少年少女たちはあきることなく、いつまでも飛び込んだり、泳いだりしていた。
やはりウラジオストクから定期船でここポポフ島にピクニックにやってきた集団。
陽気に騒ぎ、写真を撮ったら、ウォッカをふるまわれた。
ゆでたポテトや煮込んだ豆。味はとてもよかった。
寝そべる水着の少女二人に写真を撮らせてと頼んだが、恥ずかしがって、強行に拒否されてしまった