しい巨大洞窟が発見され、今ではそこに近い船つき場が賑わっている。 ▼下の写真は「サイゴンの昼下がり」のなかの「戦争写真家ロバート・キャパと一ノ瀬泰造」の章でも詳しく書 いたが、1954年日本帯在中のロバート・戦争写真家ロバート・キャパがタイムライフの要請で訪れた、 仏領インドシナ、ハノイ近郊、彼が地雷に倒れた土地、紅河デルタの街、ナムディンとタイビンを結ぶ一本道の風景だ。 1998年僕はライフの記者、ジョンメクリンや、リチャードウイーランの、キャパの伝記に記された克明な資料から ロバート・キャパの痕跡を探すため、この道を何度も往復した。ところが、いくらさがしてもそんな場所はない。 僕は途方にくれた。
それでも、キャパが最期に撮ったモノクロ写真の場所にきわめて良く似た場所を見つけた。たださまざまな 矛盾があり、(サイゴンの昼下がりに書いた)確定するにはいたらなかった。 僕は再度準備して訪れてみようと思っている。 この件に関しては他にもTEXTがありますのでクリックしてください。 *2005年、キャパ没50年の年の春、僕は資料をあつめ、綿密に準備をしてこの土地を再度訪れた。 そうしてようやく、最期の土地を発見する。「ロバート・キャパ最期の日」 下の場所は、紅河のすぐそばで、全く関係ない場所でした。2005年に探し回っているとき、 こういう場所はいたるところにありました。
capaの最後のモノクロ写真は http://digitaljournalist.org/issue9711/req3.htmサイトで見ることができます。参照してください。
ハノイ郊外ドアイン県ズックートゥ村。この村は僕の友人である元ベトコンのチュンさんの生まれ故郷だ。 詳しくは「サイゴンの昼下がり」に書いたが、短いエッセイもあるので読んでください。 この村は北部ベトナムの典型的な村だ。塀のように煉瓦作りの建物が村を囲み、中央には池がある。 北部の農民はメコンデルタの農民よりずっと厳しい環境での農作業だ。 北の人間と南の人間を比べるとその風土の違いがあると思う。 ハノイには四季があり、夏は極端に湿度があがり暑く、冬は天候が不純で湿気があり肌寒い。 下の少女はマイ・フン(18)さん。雑誌のファッション雑誌の表紙で見つけたが、 モデルではなくハノイの女性ファッションカメラマンのお気に入りの子だった。 このときは大学受験の最中だった。
上の2点とも、1995年に撮影したもの。1998年に訪れたときにはこの四つ角はなくなっていた。 今のベトナムはどんどん風景が変わって行く。
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