1995年の夏、週刊文春で「ベトナム原色美女図鑑」を特集した。すっかりベトナムに魅せ

られたぼくが、売り込んだかたちだ。「サイゴンの昼下がり」でも書いたが、もとベトコンの日

本語通訳氏と出会ったことで実現可能になった。彼は写真も撮っていて、ベトナムの美女

事情、歌手や、女優、ミスベトナムそしてモデルと交流があったからだ。約2週間の行程で

、ホーチミン市、ブンタウ、ニャチャン、ハノイを訪れ、約20人の美女を撮影した。上の写

真は国立ハノイ外国語大学ドイツ語科に学ぶ、フォン・ザン(20)さんだ。両親とも旧東ドイ

ツで学び学生結婚、父親はホーチミン政治研究院社会学センターの理事長、母親はハ

イ総合大学の化学の助教授だ。

上の写真はタイン・シアンさん。モデル(21)ホーチミン市チョロン地区バスターミナルにて

撮影しいていると野次馬にかこまれてしまった。

下の写真はゴク・アイン(18)。三年前ミスハノイに選ばれて、映画の世界にへ。現在は

14才の弟とホーチミン市に住んでいる。超売れっ子のモデルだ。ホーチミン市ビンタイン

地区ハンサイ交差点にて。ベトナムのカフェ?ではこのようなプラスティックの風呂の椅子

のようなものに座るのがポピュラーだ。

「居場所のないバレリーナ」

初めてミ・ジェンと会ったのは1995年の6月、週刊文春の撮影と時だ。

ホーチミン市のKIMUDO HOTELが僕らの拠点だった。

夕方ホテルのロビーに現われた。

彼女のエピソードは「サイゴンの昼下がり」に「居場所のないバレリーナ」として、

詳しく書いたけれど、このホームページでも紹介しているので読んでください。

彼女の主演した映画も2000年に日本で上映。

情報も載ってます。ミ・ジェンをクリックしてください。


同じくミ・ジェんを旧国会議事堂、今では1930年代そのままに改修された市民オペラハウ

スの前での撮影。当時はしろペンキをベタベタと塗られ、屋根はトタンでうらぶれていた。

僕は懐中電灯の特殊撮影TWILIGT TWISTで撮影した。露光中約10秒間、彼女はじっと

動かなかった。後ろに見えるがコンチネンタルホテル。

やはり「サイゴンの昼下がり」のなかの「アオザイと安南の娘」の章で紹介したモデルミ・ウ

エン(21)さん。英語を自在にあやつり、とても現代的な女性だった。彼女は中国系のベト

ナム人で父親はかつてホテルを経営していた。1975年の解放後一族は離散状態だった

。1994年のアメリカの制裁解除後ボートピープルとしてアメリカに渡っていた叔父さんと、

父親は再びチョロンにホテルを建造する予定だ。

下の女性は、ベトナムの有名なポップシンガータイン・ラム(26)さん。

「サイゴンの昼下がり」の表紙に使用した写真。 

H・C・M・C(ホーチミン市・旧サイゴン市)の中心部。

コンチネンタルホテル裏、レタイントン通りを、颯爽と横断するアオザイ姿の女性。

僕はカメラに200ミリの望遠レンズをつけて後ろ姿を追った。

追いかける僕のファインダー越しの視線から、彼女は路地を曲がると、

まるで白日夢だったかのように忽然と消えてしまった。

僕が初めてサイゴンを訪れた時だ。僕は日本に帰りそのフィルムを現像した。

そこには肉眼で見た印象そのままの一コマが、演出したかように写っていた。

二回目にサイゴンを訪れた時、この写真を、このあたりで仕事する人たちに見せたところ

誰も知らないし、見たこともないと皆答えた。

彼女は、僕がヴェトナムで出会った一番印象的なアオザイの女性だ。

ただこのアオザイは、生地や柄や形が、普通のアオザイをかなりアレンジしているという。

いったいどんな生活を送っている女性だろうか。僕は彼女の日常を想像した。