TEXT/ KUMI MURATA
バンコクで思春期を過ごし、女の子に初恋したマサヨ。
刈り上げに安全靴の少女は今、女流マンガ家を志す。
途絶えることのない、車の音、人の波、話し声。どこかで人が愛し合い、どこかで儲けようと躍起になる人がいる。
人のすべての感情を呑み込み、欲望が渦を巻いている街、東京 。
「東京に集まってくる人たちは、きっと最も新しいファッションや音楽、流行を求めているはず。
どうしてわかるか? アタシがそうだから」
マサヨは東京が好き。3歳から9歳、14歳から16歳と多感な時期を父の仕事の都合で、バンコクで過ごした。
テレビのスイッチをひねっても、街に繰り出しても面白くない。ひたすら退屈。
ここから一刻も早く逃げ出したい、その気持ちが日増しに強くなる毎日だった。
「アタシがバンコクにいた14歳から16歳の頃、かっこいいって言われているファッションは、
TシャツにGパンスタイルだった。そんなの全然物足りない。
日本からの情報は遅いし、もっと流行に敏感でいたいって、ずっと思っていた」
日本ではバンドブームが全盛の時代。
ロックが市民権を得て、街でエレキギターを担いで歩いても、不良だと指をさされなくなった。
アマチュアバンドを紹介する深夜番組「イカす!バンド天国」は、
当時のティーンエイジャーに人気で、毎週それを友達に録画してもらい、ひと月遅れで見た。
ショックだった。ビデオの中の少年少女たちは、同じTシャツにGパンでも、かっこいい。
靴がラバーソールだから? それだけじゃない、演奏はヘタクソでも、
「自分のやりたいことをやっているんだ」って。充実した顔つきが羨ましくて仕方がない。
リアルタイムでバンドブームを体験したい! 思いは募るばかりだった 。
そして、待ちに待った帰国。
「親とは離れて、6歳上の姉と二人で東京で暮らすことになって。
すぐにバンドの追っかけを始めたんです。
まずは「BUCK−TICK」のファンになって、それからインディーの頃の「LUNA SEA」。
夏でも全身黒づくめで、ライブ会場の前でメンバーの出待ち、入り待ちをしていた。
あれはあれで楽しかったかな」
会社勤めの姉が、出勤の時にマサヨを起こすが、起きてもまたベッドに入ってしまう。
気がつくとお昼。学校に行く頃は、授業は終わってホームルームの時間。
そのままライブハウスへ通う。そのうち出席日数が足りなくなり、
高校1年生を2年続けることになってしまった。
「追っかけの世界はちょっと独特で、髪の毛の色は金髪にするんじゃなくて、真っ黒。しかも長くて。
口紅の色も黒。服も黒。みんな同じじゃなきゃいけない世界って、なんか変だなって思ったんです。
ダブッた時からは行かなくなっちゃった。音楽って自由なはずなのに、勝手にルールを作って、
その通りにするのってかったるい」
追っかけの世界に限らず、ルールに従うのに違和感を覚えたのもこの頃。
女の子なんだから可愛らしくしないといけないとか。
バンコクにいた頃はあれほど流行りの服を着たかったのに、
みんなと同じスタイルでいるのが窮屈になってきたのもこの頃。同級生はルーズソックスで短い丈のスカートを履く。
そんななかマサヨは、ボーズ頭に安全靴を履いて登校した。
「17の頃のアタシって、今考えると、背伸びしたかったのかな。
みんなと同じは嫌だって気持ちが強かったのはたしか。そりゃあ浮きましたよ。
コギャルの中、アタシ一人がストリート系だったから。授業さぼって公園で男の友達とスリーオンスリーをやったり。
男の子によく間違えられたなぁ。
女、区別されるのも不愉快だったしね」
みんなと違う自分でいるのが当たり前になっていた。
それは、今も変わりはない。ファッション誌の読者モデル、アパレル関係のOL、ウェイトレス、
マンガ家のアシスタント、いくつかの職を体験し、やっと人生の糸口を見つけた。
ニューヨークで絵の勉強をしてマンガ家になる。
いつか見た音楽番組に出ていた、バンド少年たちの顔つきを思い出していた。
「一般的な幸せが、自分にとって幸せとは思わない。アタシの世代ってちょうどいま結婚適齢期かもしれないけど、
いくつになったから結婚しないといけないとか、そうは思わない。
結婚しないと言い切るつもりはないけど、したくなったらすればいいんだし」 それと同じ。
何かを始めるのに、遅すぎることはない。 今も途絶えることのない、車の音、人の波、話し声。
人だけじゃない、物もあふれている。
情報、流行の発信基地で、マサヨは流されない躍らされない自分を見つけていた。
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