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1949年千葉県市川市生まれ。日本大学芸術学部写真学科卒業。

アシスタントを経て、1975年フリーランスの写真家として独立。

広告、エディトリアル、ファッション、NUDE,ドキュメンタリー、CMと様々なジャンルで活動。

最近は文筆も始め、2009年からテレビ朝日「世界の街道をゆく」のスチールとムービーを担当中。


1949年 千葉県市川市国府台で生まれる。

1955年 市川市立国府台小学校入学

1961年 千代田区立練成中学校入学

1964年 日本大学付属豊山高校入学

1967年 日本大学芸術学部写真学科入学

1972年 篠山紀信氏 アシスタント

1975年  独立フリーランスの写真家となる。

    エディトリアル、広告、カレンダー、ファッション、NUDE,ドキュメンタリー、CMなどさまざまな方面の仕事をはじめる。

1985年 ニコンサロン新宿にて初めての写真展「Day by Day〜特別な毎日」以後多数開催、

1994年 初めてベトナムへ行く。1998年 ごろから、文筆も始める。

1999年 写文集 「サイゴンの昼下がり」(新潮社)

2002年 NHK総合、BSにて「地球に乾杯」「地球に好奇心」〜アオザイルネサンス〜出演

2003年 小説「熱を食む、裸の果実」(講談社)

2004年 ノンフィクション「ロバート・キャパ最期の日」(東京書籍)

2005年 ブリッツギャラリーと契約

2006年 写真集「あの日の彼、あの日の彼女1967−1975」(アスコム)

2008年 「横木安良夫流スナップショット」(エイ出版)

2009年 3月 AYPC Alao Yokogi Photo Club)Workshop開始

2009年 キヤノン写真家たちの日本紀行出演

2009年10月から、テレビ朝日「世界の街道をゆく」で、ムービーとスチールを担当し現在も放送中

2010年4月 AYPC写真展「dearly days 〜なぜか気になる、ありふれた光景〜」開催

      銀座キヤノンギャラリー  6月 梅田キヤノンギャラリー

2011年3月 写真展「GLANC OF LENS 2011」 BlitzGallery Tokyo

2011年5月 渋谷西武 

2011年9月写真展「GLANCE OF LENS〜レンズの一瞥」品川ギャラリーS

2014年8月〜銀座、福岡、梅田、名古屋、仙台キヤノンギャラーにて

写真展「GLANCE OF LENS 2014〜生きている時間〜」を開催。

主な著書

1999年 写文集「サイゴンの昼さがり」(新潮社)

2003年 小説「熱を食む、裸の果実」(講談社)、

2004年 ノンフィクション「ロバート・キャパ最期の日」

2006年 写真集「あの日の彼、あの日の彼女1967-1975」(アスコム)

2007年 写文集「ベトナムGXトラベラー」(アスコム)

2008年 「横木安良夫流スナップショット」 エイ出版社 

2009年8月 「Glance of lens Vol.1 Vladivostok」 Zine 私家版

2009年12月 「Glance of Lens Vol.2 Girls in Motion」 Zine 私家版

共著

1994年 野生時代特別編集「矢作俊彦ベトナムレポート」(角川書店) 広告も含めた全写真

1995年「火を吹く女」 (新潮社) 文 矢作俊彦  写真 横木安良夫

1996年「ポルノグラフィアあるいは廊下の隅の永遠」 小学館 矢作俊彦 写真 横木安良夫

1996年「16号線ワゴントレイル」 (ニ玄社)矢作俊彦  写真のみ

2001年 「ユーウツな楽園」 (アミューズ出版)文 田崎健太 写真 横木安良夫

2005年「M7.3 子供たちの見たもの 阪神大震災」 宙出版 写真

2008年 小説現代別冊 不良読本  講談社  小説「ホテルパシフィック」120枚

2008年 シグマDP1マニアック・マニュアル(インプレスムック)

写真展

1985/12 「DAY BY DAY」12.3-12.9 SHINJUKU NIKON SALON BW 38prints

1986/3 「いつか上海」 3.27-4.15  

TOKYO DESIGNERS SPACE PHOTOGALLERY STUDIO EBIS BW 25prints

■1986/4 「AMERICAN HEADS」 SHINJUKU NIKON SALON BW 40prints

1993/4「TWILIGHT TWIST POLAROID」 4.13-5.14 PORALOID GALLERY

polaroid 809 30prints

■1996/3 「越南女」 HANAE MORI OPEN GALLERY Digital 12prints

■1996/4 「TWILIGHT TWIST2 」HANAE MORI OPEN GALLERY 12 prints

■1996/5 「10000W NUDE 」POLAROID GALLERY TORANOMON polaroid 8x10 40prints

■1998/10「 風が流れている」 POLAROID GALLERY TORANOMON polaroid type 55 30prints

■2003年3月10日〜7月25日 「時空越南」 全国キヤノンサロン digital prints A0 12pirnts 

■2003年5月28日から7月21日 「サイゴンの昼下がり 94−03」  東京写真文化館 ラムダクリスタルプリント 106prints

■2003年11月13日〜12月25日写真展「北へ、北へForgotten Vietnam」

品川CanonSタワー  デジタルプリントA0  10点  A3ノビ50点

■2004年9月 「「ロバート・キャパ最期の土地」 

デイズ・フォト・ギャラリー デジタルプリント20点

■2005/7 グループ展「Summer Surf Tales」 アートフォトサイトギャラリー デジタルプリント 4Prints

■2006/1 「Teach Your Children 1967−1975」アートフォトサイトギャラリー

デジタルアーカイバルプリント A3ノビ 200点 A1 10点

■2006/3 「Teach Your Children 1967−1975」京都ギャラリーデジタルアーカイバルプリント

A3ノビ 200点 A1 10

■2006/5 「Shibuya Now and Then」〜DaydreamBeliever〜 渋谷PARCO ロゴスギャラリー 

デジタルアーカイバルプリント 8x10  カラーモノクロ66点

■2006年5月 写真展「SHIBUYA NOW AND THEN 〜DAY DREAMBLIVER」 渋谷PARCO LOGOS

■2006年12月1日〜13日 TEACH YOUR CHILDREN 1967-1975 「あの日の彼 あの日の彼女」 渋谷PARCO LOGOS  

■2007年1月19日〜3月3日 TEACH YOUR CHILDREN 1967-1975 「あの日の彼 あの日の彼女」

ARTPHOTOSAITEGALLEY NAGOYA

■2007年7月17日〜7月30日 「GXトラベラー ベトナム・ニッポン」 Gallley Bauhaus

2008年5月22日〜28日 「GLANCE OF LENS〜レンズの一瞥〜」  ポートレートギャラリー 

Color BW 60点  デジタルアーカイバルプリント

■2011年3月 写真展「GLANC OF LENS 2011」 BlitzGallery Tokyo
 デジタルアーカイバルプリント 30点

■2011年5月 渋谷西武 70x100 グループ展 

■2011年9月写真展「GLANCE OF LENS〜レンズの一瞥」品川ギャラリーS

大判プリント 40点


横木安良夫の作品はBlitz Galleryにて扱っています。

Gallery representation for Alao Yokogi : Blitz International

Blitz Gallery  Art photosite Tokyo

154-0064 Blitz−House 6-20-29 Shimomeguro Meguro-ku Tokyo Japan

phone. 813-3714-0552

レコード、CD

松任谷由実、沢田研二、安全地帯、竹内マリア、木の内みどり、

佐藤奈々子、小林旭、中原理恵、

研ナオコ、アンルイス、ハイファイセット、大田裕美、伊東ゆかり、 

プリンセスプリンセス、萩原健一、長谷川きよし、

来生たかお オフコース 小田和正 及川光博 ゼルダ  

クールファイブ 大橋純子 石川セリ

清水健太郎 鈴木雄大  浜田省吾  西城秀樹  他

広告

資生堂 コーセー化粧品 花王  メイベリン アイビー化粧品  

Canon ミノルタ TAMRON EPSON HONDA

講談社 フォームフィットジャパン 富士銀行  銀行協会  

MAZDA   ユーノス  ブリジストンスポーツ

国鉄  JR九州  JR四国  JR東日本  ANA  

エストネーション  バーニーズNY  東急 

JTB 帝国ホテル JT サントリー NEC 

デビアス カメリアダイヤモンド  リクルート 

イトキン サッポロ ビール 他

CM

1978年 西武劇場サロメ(つかこうへ構成、演出)  テレビCM  

制作:CMランド 出演 水野さつ子(蜷川有紀)  撮影、演出 横木安良夫

1979年  カメリアダイアモンド 出演 ジュディ・オング 撮影、演出 横木安良夫 

1980年  コーセー化粧品 夏キャンペーン(ボナール島)  ムービー&スチール 撮影 横木安良夫

1981年  明星食品 中華三昧  演出 岩下俊夫  撮影 横木安良夫

198? 花王 出演 秋川リサ  演出 岩下俊夫 撮影 横木安良夫

198? 西武プライムCM 演出 早川タケジ 撮影 横木安良夫

雑誌

カメラ毎日 アサヒカメラ 日本カメラ ZOOM デジャブ CAPA デジタルカメラマガジン デジタルフォト

週刊プレイボーイ 月刊PLAYBOY アパッチ  スコラ  プレイボーイアイズ 週刊現代 週刊ポスト

週刊文春 週刊毎日 アエラ 文藝春秋 ナンバー 少年マガジン ペントハウス(講談社) ペントハウス(ぶんか社)

週刊大衆 週刊実話 

With MORE ハイファッション 装苑 MRハイファッション 流行通信 LAVI 家庭画報

美しい着物 婦人画報 ドレスメーキング サンジャック ヤングレディ 女性自身 女性セブン

ビデオボーイ デラベッピン 漫画アクション まるまん 

NAVI 

  

タレント写真集

「シーサイドフリーウエイ」水島裕子 

加藤愛、真弓倫子、村上恵梨、小松千春、小野みゆき、黒沢あすか、櫻井淳子、林葉直子、

越智静香、沢田奈緒美、木内美穂、安原麗子、仲谷かおり、矢沢章江、松田いちほ、吉沢秋絵、

細川直美、横山エミー、立花りさ、短編写真文庫(沢口靖子、斉藤由貴、宮沢りえ他)、山崎真由美 

映画 ・テレビ

1984年  「アゲイン」 矢作俊彦監督 日活映画アンソロジー(挿入部分の撮影)

1984年ごろ  「サウンドブレイク」(テレビ東京) 演出 狩野喜彦と 1本、矢作俊彦演出でも1本撮っている

2009年10月から、テレビ朝日「世界の街道をゆく」で、ムービーとスチールを担当し現在も放送中

テレビ出演

2002年 NHK総合 地球に乾杯 「アオザイルネサンス」 〜女性達が映し出すベトナム〜 出演

  NHKBS2 地球に好奇心「アオザイルネサンス」〜女性達が映し出すベトナム〜 出演

2007年5月  NHK BS 週刊ブックレビュー出演

2009年 BSジャパン キヤノン 写真家たちの日本紀行 益田 風景編、人物編

2012年 BSジャパン キヤノン 写真家たちの日本紀行 津軽  弘前

2013年 BS朝日 キヤノン Hellow!フォトラバーズ〜ミル・トル・アルク〜 菊川玲x横木安良夫 横浜 吉祥寺

2013年 BS朝日 キヤノン Hellow!フォトラバーズ〜ミル・トル・アルク〜 安めぐみx横木安良夫 千住 品川


履歴詳細 

1949年3月19日 千葉県市川市国府台 国立国府台病院で生まれる

父親は、朝日新聞社会部の記者だった。夜遅く、朝も遅いのでほとんど会うことはなかった。

近くに、アメリカ人宣教師、パウラス先生の幼稚園に通う。(僕が卒園するまで無認可。ナースリー(保育年)

と幼稚園があった。戦争中は兵舎だったその建物には、遊具や大きな玩具や樽、それはどれもがアメリカ製だった。

ルーテル派の教会から派遣されていた、エーネ・パウルス先生は、当時50代後半、

アメリカからの寄付で、ほとんどをそろえていた。

それは僕の最初のアメリカ体験だった。僕は大きくなるまで、パウルス先生は、戦後

マッカーサーと一緒に、日本にルーテルを布教するために来ていたのだと思っていた。

しかし調べてみると、彼女はすでに大正時代に、日本を訪れ、

当時の貧しい、そして口べらし、人身売買などで、差別されていた日本の女性のためになりたいと、

20代で日本にわたってきた、筋金入りの婦人宣教師だった。

アフリカに行こうか、日本にゆこうか迷ったが、先に日本に来て活動していた姉モード・パウラスのもとにやってきた。

国府台幼稚園では、クリスマスになると、降誕劇をやった。

僕はヨセフも、乳香をもった博士(ワイズマン)も演じたことがある

1955年 市川市立国府台小学校入学 低学年のころは、授業中歩き回っていた。

2年の担任が、産休中、変わりの先生に僕の態度があまりにひどいので、ビンタをされた。

よく学校をさぼった。母親はしょっちゅう呼び出された。

母親が心配して、ピアノを習わせたが、1ゲ月でクビ。

右手と左手が一緒に、「きらきら星」だけを覚えた。

そのあと、矢切りにあった絵の教室に行く。ここでは褒められて、3年生ぐらいまで通った。

3年になると担任が、堀切洋先生になり、かわいがられてしだいに落ち着いてゆく。

日曜日はいつも市川駅ちかくの先生の家に遊びに行った。

国府台小学校は、市川小や真間小と違い、勉強をするより、天気の良い日は授業をとりやめ、

裏の三角山に遊びに行った。勉強はほとんどしていない。

もっとも学年で一番のOは、開成中学に合格しているのだから、

勉強ができる子はいたわけだ。彼はのちに医者になっている。

3年生の終わり、誕生日前に、父親がスタートカメラ(ボルタ判)というトイカメラを買ってもらった。

2軒となりが写真屋(瀬川DPE)さんだったので、写真の乾燥とか、印画紙のカットはよく見ていた。

それは彼らが、縁側から見える、座敷で作業していたからだ。

スタートカメラを買ってくれた時、父親が、ネガホルダーとアルバムをそろえ、

整理のやりかたを教えてくれた。その時は、ネガはたびかさなる引っ越しで行方不明。

4年生の初夏、筑波山に上った。撮った写真を、瀬川さんが、傑作だといって

一枚、手札にプリントしてくれた。それまで撮った写真は、ほぼ現在の35mmサイズ

ボルタ判の等倍プリントだった。当時手札サイズは大きく見えて、うれしかった。

それからよく写真を撮った。

4年生ぐらいから、落ち着きだし突然女子から人気がでた。

翌年の誕生日には、子供たちの夢のカメラ、フジペットを買ってもらった。

6x6判のなんとも、魅力的なカメラ。グリーンのビニールケースに入れ、肩からななめがけして、

クラスに持ち込んで撮った。当時はそんな立派な自分用カメラを持っているのは、国府台小では、僕一人だった。

5、6年はなぜか強制的にコーラス部に入れられた。パートはアルトでいつもハモリばかりの裏メロディばかり歌った。

6年になると、二人の女の子から告白された。矢切りの土手をいつも3人でデートした。が、しばらくして一人に絞った。

朝早く、学校に行く前にデートをした。

その彼女は、東京から越してきたKに取られてしまった。

1961年 千代田区立練成中学入学 なぜか、地元の一中には行かず、

千代田区立練成中学に越境入学をした。

当時1学区は周辺の秀才があつまり、皆、東大ダントツ一位入学の日比谷高校を目指して越境してきた。

それなのに僕は、ABCのアルファベットも知らない、まったく勉強をしたこともない論外の生徒だった。

成績は、中の下、越境組ではいつもビリだった。それでも得意な学科は、理科と国語。

それだけが支えだった。

このころの練成中学は、日比谷高校入学倍増計画中で、猛烈な受験体制になっていた。

美術で絵を描いたこともなく、日本美術、西洋美術、音楽は通論を詰め込まれた。

小学校では、勉強をしなくても頭がいいほうだと思っていたが、

とんでもない学力差に、カルチャーショックを受け、

図書館で科学系の本を読むか、

秋葉原の電気街をいつも下校時歩きまわった。

また、鉄道のHOゲージが好きで、交通博物館やカツミ模型展や、

名前は忘れたがやはり神田にあった、その手の店にいつもいた。

最初は、勉強する気力も、クラブ活動する元気もなかった。

それでもまわりは、勉強するので、なんとなく勉強もした。

家庭教師をつけられたが、いつも眠かった。

1年の担任は小原先生だった。

その数学の新米教師を、僕はあんまりなじめなかった。

僕は、それまでの外向的な性格ががらりと変わり、かなり内向的になった。

中2の新学期、市川駅から乗り、総武線亀戸駅停車中で、突然周囲が真っ白になり、

飛び降り駅のベンチで休む。そのまま家に戻ったら、入院させられた。

病名は、急性胃腸炎ということだったが、隔離されたので猩紅熱だとも言われた。

1ケ月休み、ただでさえ、勉強が遅れていたので、授業にはまったくついてゆけなくなった。

特に新しく始まった、数学の図形は何の意味かまったくわからなかった。

中学時代は、暗黒時代で思い出すのもいやなぐらい、トラウマになっていった。

前術の担任の小原先生とは40年後、僕の写真展に来てくれて僕のトラウマを晴らしてくれた。

それは後述。

都立は学区をかえたものの落ち、

1964年 日本大学付属豊山高校入学する。

高校に入るとすぐに、ブラスバンド部に入り、フルートとピッコロを担当する。

さすがに天下の受験体制の中学校から、私立の豊山高校に入ったら、初期の成績はクラスで上位だった。

その年の10月10日、お茶の水女子大のグランドで、ブラスバンドの体育祭の練習中、

空にブルーインパルスによる五輪の雲が上空に描かれ、練習をやめて皆で空を見上げた。

オリンピックの開会式をテレビで見ることはできなかったが思いがけず、本物のオリンピック開催を見ることができて感激した。

高校3年間はブラスバンドづけだった。他には何もしなかった。

1年の後半、フルートパートの先輩がやめてしまし、僕一人になった。そのころは、譜面も読めなかった。

ところがマーチ王、ジョンフィリップスーザの「星条旗を永遠なれ」をやることになり、

ピッコロによるトリオのオブリガードを先輩の助けで猛練習する。

この曲をマスターしたことによって、音楽に自信を持てるようになった。

ただ、勉強は全くしなかったのと、席も一番後ろ、授業も聞かず、

試験の党案も満足に書かず、高2になると、成績はクラスのビリから3番目にまで落ちた。

このままでは付属といえども日大進学も危ないとさとり、ようやく勉強を始める。

文系はでは上位になり、弁護士もいいかなと母親にいうと、あなたには無理だと言われ、

芸術のほうが向いていると説得される。

大正11年生まれの母は、日大芸術学部文芸科を卒業している。当時大卒は珍しい時代だ。

母親は読書と俳句が趣味で、当時は俳人となるべく活動していた。

特に日本文学にへ造詣が深い。戦中は、文学報国会に勤め、多くの文人ともあっている。

結局、父親が新聞記者だったので、報道カメラマンもいいかなと思い始め、

写真学科に進むことを決めた。

1967年 日本大学芸術学写真学科入学

日芸に入るまえ、一眼レフカメラを買うことになり、当時僕は最高の1眼レフは、

アサヒペンタックスだと思い込んでいた。CMも盛んだったし、第一ニコンなんて知らなかった。

持っていたカメラと言えば、中学の時に買ったオリンパスペンSだけだ。

しかも父親と同じ、アサヒ(朝日、旭)、なので、さらに思い込みから、

朝日新聞からそのアサヒペンタックスSPを買ってもらった。

それで、家のまわりを撮りまくった。

授業が始まると、皆ニコンFを持っていて驚いた。ファインダーを覗くと、その違いに驚いた。

それでも、同じクラブ、フォトポエム研究会の同級生、高木松寿がペンタックスSVという僕のSPより

下位のカメラを使っていた、彼の写真は周囲の、いや先輩を含めてもダントツに上手く、

写真はカメラじゃないとそのとき知った。高木松寿は僕の最初の写真の先生である。

現像、プリント、乾燥と、写真の撮り方、そのフレーミングと僕は彼のまねをしていた。

以下工事中

全国的に、いや世界的に広がっていたスチューデントパワーの影響もあり、

「日大民主化闘争」「20億円使途不明金」などを引き金に、日大でもデモが始まった。

5月突然、何ものかの扇動でバリケードを築き、僕たちは学園を封鎖した。

最初の頃はバリケードに籠城し、積極的にデモに参加し、カンパ活動をする。

7月8月になると、何も起きず、バリケードのなかは学生たちも少なくなった。

工事中

学園紛争翌年5月まで、学園は閉鎖された。

1969年 学園は再会され、2年、3年を一年で履修

1971年 卒業

     日本デザインセンターでアルバイト(暗室) 

1972年1月 篠山紀信氏アシスタント

1972年 カメラ毎日2月号アルバム72「Hellow good−bye」BW4p 発表

1972年 アサヒカメラ8月号 浅田恒穂、笠原、とともに表紙になる。(撮 篠山紀信)

1973年 篠山紀信、横尾忠則、青木(青画廊) とともにインドに行く

1974年アサヒカメラ「Party」モノクロ4p 発表

1975年9月 アシスタント独立 港区青山3丁目 高桑ビル615に事務所を構える

少年マガジン「池上季実子」Color 7p 文 松本隆

月刊PLAY BOY 一周年表紙

少年マガジン「岩崎宏美」 BW15p 文 荒井由実

1976年

京朋カレンダー AD 横尾忠則 C 三宅一生 HM 川辺サチコ M 山口小夜子

工事中

1979年 渋谷区代官山 パシフィックマンションに事務所を移動

1985年 初めての写真展 「Day by Day」 京王プラザ1F 新宿ニコンサロン

1994年 初めてベトナムに行く OP 野生時代別冊矢作俊彦 バーニーズNYTOKYO広告

1995年1月 阪神大震災を取材する

1995年 週刊文春 グラビア ベトナム美女図鑑 30p

1999年 写真と文の本「サイゴンの昼下がり」新潮社

1999年 セブンシーズベトナム特集

2002年 週刊文春 ベトナム美女図鑑2 

2002年 NHK総合 地球に乾杯 「アオザイルネサンス」 〜女性達が映し出すベトナム〜 出演

     NHKBS2 地球に好奇心「アオザイルネサンス」〜女性達が映し出すベトナム〜 出演

2003年 小説 「熱を食む、裸の果実」 講談社

2004年 ノンフィクション「ロバート・キャパ最期の日」東京書籍

2004年 「デジで本」 翔泳社

2005年 「M7.3 子供たちの見たもの」

2006年12月1日〜13日 TEACH YOUR CHILDREN 1967-1975 「あの日の彼 あの日の彼女」 渋谷PARCO LOGOS

2007年5月 NHK BS 週刊ブックレビュー出演

2007年7月17日〜7月30日 「GXトラベラー ベトナム・ニッポン」 Gallley Bauhaus

2007年11月16日 京都工芸芸術大学にて「キャンデット、スナップについて」講演

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横木安良夫の作品はBlitz Galleryにて扱っています。

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