ロバート・キャパ 地雷を踏むまでの、42日間の足取り Vol.1 日本 1954.4.13〜5.1 ロバート・キャパは、インドシナで地雷を踏んで死にました。 その死の直前、日本に滞在していたのです。 もし、日本に来ていなければ、キャパは死ぬことはなかったでしょう。 キャパの最後の42日間の足取りは、リチャード・ウイーランの伝記ではかなり省略されています。 特に日本での滞在は、まるで大名旅行のように記され、 キャパの人生の付録のようなあつかいです。 「ロバート・キャパ最期の日」を執筆するにあたり、 リチャード・ウイーランの伝記、その元になったジョン・メクリンの記事や、 キャパの日本滞在に密着したカメラ毎日の金沢秀憲の記事と、 毎日グラフのデータや記事、 2004年僕の本より先に発売された2004年に学研CAPAより発売された 「ロバート・キャパが見た、世界と日本」、なども参考にしています。 ただ日本でのスケジュールは学研のキャパの内容とかなり異なっています。 僕が一番重視したのは金沢秀憲の記したカメラ毎日の写真データと記事、 そしてなによりキャパが撮った写真です。 例えば、キャパが銀座松坂屋のシャッターの閉じたまえで夕方に撮影した写真があります。 写真を見ると、その日松坂屋は定休日です。 当時の休業日を松坂屋に問い合わせたところ、今と違い木曜日と返事がありました。 キャパのスケジュールを照らし合わせると 4月15日以外ありえないことになりますし、金沢の記事と照合すると合っています。 インドシナのラストショットもそうですが、キャパの写真のなかには、さまざまなそのとき、 その場所でしか撮れない真実が写っているのです。 インドシナでの足取りは、 CAPAが撮った約50本近くのすべてのコンタクトプリントを見る機会があり、 それを時系列に並べて、書いた写真のキャプションとなどと照らし合わせたものです。
●1954年(昭和29年) 4月13日(火) 第二次世界大戦終結後の1952年に、ロッキード・コンステレーションで運行されていた、 パリ-ベイルート-カラチ-サイゴン線を東京まで延長する形で乗り入れを開始した。 ★エールフランス機、ロッキードコンステレーション、L749A、シャンゼリーゼ号で、羽田に到着。 羽田空港は戦前のままの小さなターミナルだった。 ★キャパは、毎日新聞社カメラ毎日創刊号記念に招待された。 ←ちなみに最後の号 同機には、大スターだった褐色のダンサー、ジョセフィン・ベーカーも毎日新聞社に招待され来日。 キャパは共に大歓迎に会う。雨。(カメラ毎日、毎日新聞) パリ発----ベイルート----カラチ----サイゴン----東京着(サイゴン経由と言うことに意味がある) L−749A機というプロペラ機で、50時間の長旅。 (エールフランスの歴史より、Paris−Tokyoは、1952年11月26日より南回りを運行) ★キャパは、その晩、広尾有栖川公園近くにあった藤ホテルに宿泊。(後に、麻布プリンスホテルとなる) 不便な場所にあるホテルだが、川添浩史邸宅の近くだった。 ★川添らと夜は銀座に繰り出す。 (カメラ毎日) ●4月14日(水) ★毎日新聞、キヤノン表敬訪問。他日本写真工業表敬訪問 ニコン長岡社長と会見、NikonSとレンズ数本をプレゼントされる。 ●4月15日(木) 午前中フジフイルム ★さっそく浅草にて撮影。夕方の当時木曜日休業の銀座松坂屋のまえで撮影。 夜、川添浩史氏が支配人をしていた高輪郭にて、 ニコン、キヤノン、フジフイルムの社長と会食。 ●4月16日(金) 朝、銀座の撮影 新橋演舞場 あずまおどり撮影 その後、東京駅で撮影 友人である川添氏らの歓迎会をかねて、熱海にゆく。 (このあたりは、カメラ毎日に詳しく書かれている) 小雨が降る。 夕食は 洋食屋スコット 射的場、パチンコ、糸川べりで撮影 熱海ホテルに宿泊する。 熱海唯一の洋風ホテルだったが、米軍に接収されていた。 ●4月17日(土) ★朝、10時 フランス料理屋「モンブラン」で朝食。(現在はケーキ屋になっている) このレストランは、谷崎潤一郎のお気に入りだった。 その朝、熱海ホテルから外国人が朝食をとりたいと連絡がモンブランにあった。 カメラ毎日には、「コックと女将」というタイトルでそのときの写真が紹介された。 ビールを飲み夜のようだけれど、実は朝である。 (カメラ毎日のキャプションは前日の夕方、レストラン、スコットで撮ったようになっている) 写真の女性は、女将ではなく同行したモデルである。 本当のモンブランの女将、新田君枝は、右の影に隠れてこの様子を観察していた。 キャパは新聞記者とモデルのような女性と一緒だった。 品があり、モデルさんかと思ったと新田君枝は思った。 飾ってあるこの写真は、カメラ毎日に載ってから、毎日新聞の記者にもらったそうだ。(印画紙 サインもCapaの直筆だ。 東京に戻り、浅草で撮影する。 このとき、キャパが日本は、「ピクトリアルパラダイス」(写真の天国)だと言った。 日本で撮った写真をまとめて写真集を作ると言う。 そのタイトルは「THE EYE FORGET」だ。 夕方、築地の料亭で、カメラ毎日の座談会 伊奈信男、木村伊兵衛、三木淳、安保久武、井上繰次郎、金沢秀憲、佐伯恪五郎 (座談会の日は推量である。ただ、会話に熱海の話がでいている。) 金沢の文章やさまざまなことからこの日を特定した。築地だったという情報があった) ●4月18日(日) マグナムパリに、「来日して初めて5分間だけ休みをもらった」と、電報。 「日本で5台のカメラと15本のレンズのテストをし、30の花束をもらった」と打電。 ・・・スケジュールを見ると、日曜日は常にOFFのようにしている。 大げさに5分間だけ時間をもらったと言っているが、この日何をしていたのかわからない。 たぶん川添氏と遊びまわっていたのだろう。 たしかに、日本人の分刻みのスケジュールには、辟易としていたと思う。 ●4月19日(月) 朝、帝国ホテルで英字新聞を読んでいて、水爆被爆の第五福竜丸の記事を読み、 突然焼津に行きたいと言う。(金沢の記事ではそういうことになっている) 実は、その日から関西に行く予定だった。 受け入れ態勢を整えていたのでスケジュール変更はたいへんだったという。 しかし実際は17日にはすでに変更している。(学研Capa別冊より) 午後の汽車で静岡に向かう。 静岡駅午後4時到着。 アマチュアカメラマン金原氏が駅舎でタバコをくゆらせるキャパを撮る。(カメラ毎日撮影データ) コンタックス、ゾナー50mmf2.0 スーパーXX 金原氏は翌日焼津取材のキャパのアシスタントをすることになっていた。(静岡在住写真家H氏の情報) 金原氏、夜、キャパの写真を現像する。 その写真をキャパに見せたところ、褒められる。 キャパがリラックスしているのは、アシスタントだったからだ。素敵なポートレイトに仕上がっている。 その写真はカメラ毎日8月号で佳作になっている。 なによりもその後、富士美術館の写真展カタログの表4になり、RobertCapaを撮った最後のポートレイトとなった。 静岡泊まり。 ●4月20日(火) 早朝4時半に起きて、焼津に行き午前中取材。(カメラ毎日) キャパは、係留されていた第五福竜丸にはあまり興味をしめさなかったらしい。 遠くから1コマだけ撮影したと言われている。 金沢氏は、キャパが人間にしか興味をしめさなかったという。 魚市場で撮影後、焼津浜通り、 2004年 同じ場所で撮影する。服部よし子さん。 この写真も焼津昭和通り。
★静岡1:00発、大阪着、下り急行玄海に、pm8時16分着 中ノ島3丁目の新大阪ホテル泊(現リーガロイヤルホテル)(毎日新聞大阪版) ●4月21日(水) 朝から奈良に行く。奈良泊まり。法隆寺、東大寺、大仏。(毎日新聞) ●4月22日(木) 昼間、大阪四天王寺、聖徳太子殿竣工式の古式行列を撮る。午後京都に行き泊まる。 ●4月23日(金) 京都泊まり。 京都桂離宮 歌舞伎座みやこ踊り 祇園歌舞練場 ●4月24日(土) 兵庫県尼崎 尼崎博 産業博覧会 海岸で写生している子どこたちを撮る うどん屋、琴浦屋からでてくるキャパの写真がある。 アマチュアカメラマン荻野幹雄氏キャパを撮る。その写真は第2回全国報道写真家コンクールに入選する。 大阪泊まり ●4月25日(日) 大阪城周辺を撮る。 大規模な私鉄スト。 ●4月26日(月) am10:30毎日新聞社大阪本社訪問 東京に戻る ●4月27日(火) 東京 午後4時半より、東京會舘にてカメラ毎日創刊パーティに出席(カメラ毎日) 夜、中島健蔵、伊奈信男らに連れら、新宿二幸(現アルパ)裏にあった 小林梅経営の文壇バー、「みちくさ」に行く。そこでサインをする。 キャパのカメラのイラストは珍しい。 (小林秋生 所蔵)
●4月28日(水) 夜、ライフより仏領インドシナ行き、打診がある。(リチャードウイーラン伝記) ●4月29日(木) 東京 天皇誕生日の取材 夜8時、タイムライフのカメラマンハワード・ソチュレックとプレス・クラブで会う。(キャパ伝記) ●4月30日(金) キャパ受諾 タイムライフ電報(キャパ伝記) ●5月1日(土) メーデーの取材(カメラ毎日、毎日新聞、伝記) 毎日夕刊一面にメーデーの写真が載る。 毎日新聞は、5月1日に発つ記事があるが、金沢の記録には、2日に発ったとある。 そのため、伝記では、5月2日に発ったことになっている。 それは謎なのだが、当時の飛行機の時刻表を見ると、5月1日に間違いはない。 しかも、新聞は記事だけではなく、離日の写真も残っている。 メーデーの撮影後、その日の夜の便でバンコクにたったことになる。 ★5月1日 ストクホルム行き、21時30分の SAS機で仏印に立つ。正確にはバンコクに行く 当時SAS東京出発は、週2便 水、土 発 到着は火、金 22:00 |