小松千春写真集「VOYAGE」定価3400円+税。A4版、144ページ。

ワニブックス

小松千春写真集VOYAGE  in VIETNAM 撮影制作ノート

2000年10月、小松千春写真集「VOYAGE」はベトナムで撮影された。

ロケ地は、ベトナム第一の都市サイゴン(ホーチミン市H・C・M・C)、

その郊外にあるフランス人のビラ、そしてメコンデルタの入り口の街ミトー(MyTho)でのクルージング、

それからメコンデルタの中心カントー(CanTho)、最後にホーチミン市から飛行機で約45分、

ベトナム1のリゾート、ニャチャン(Nha Trang)など、約10日間に渡って撮影をした。

今年のベトナムは天候不順で、40年ぶりの大洪水にみまわれかなりの被害があった。

そんなわけで当初カントーには行かれないとのことだったが、撮影中は幸運にも天気に恵まれ、

無事カントーでの撮影もできた。今回のベトナムは今まで訪れたなかで一番しのぎやすい気候だった。

異常気象だといえ、こんなに爽やかなヴェトナムもあるんだと驚いた。

おかげで撮影はきわめて順調に進んだ。

この制作ノートは、撮影の後半の、ある一日をドキュメントするかたちで紹介するものである。


2000年10月xx日

朝は6時前に起きた。海辺に面したコテージホテルのカーテンをあけると、

真正面に昇るだろう太陽は、まだ水平線の下。空は紫色のグラデーションに包まれていた。

ここベトナムのニースとも呼ばれているニャチャンの海岸は、この数年すっかり変わってしまった。

その原因は、僕らが泊まっているニャチャン一番のホテル、

アナマンダラの建築スタイルが、バリふうなせいでもあると思う。

インドネシアのバリもベトナム中部に栄えたチャンパも、ヒンズー教系の海洋民俗だ。

だからその遺跡はとても良くにている。アナマンダラの建物が、バリふうなのも別に意味ないことではない。

しかし僕が最初に訪れた1994年のニャチャンは、バリ的なものは何もなかった。

平日の真っ昼間、太陽がじりじりと照りつける時間に、色とりどりのパラソルの下、

海岸で日光浴を楽しむのは外国人観光客ばかりだった。

それがどうだろう、訪れるたびに海岸の中心部はベトナム人で溢れるようになった。

ベトナムの人々がそれだけ豊かになってきたせいだろう。

外国人観光客はアナマンダラのように、

それまでの海岸からはだいぶ離れたプライベートビーチに追いやられてしまったかっこうだ。

今やニャチャンはすっかりベトナム人のリゾートになってしまったようだ。

海岸の風景も、パラソルがバリふうの葦でできた、きのこみたなかたちになってしまった。

だからぼくの心のなかのニャチャンとはすっかり変わってしまっている。

だからといって決して悪くなったのではなく、

外国人にとってもリゾートとしては以前よりもずっと快適に豪華になっている。

ただその結果がちょっとかつての無国籍な雰囲気から

すっかりアジア的になってしまったことが残念だという、僕のかってな印象だ。

6時半にはすでに太陽は昇りはじめていた。

風もなく、暑くもなく爽やかな朝が始まった。

ぼくは朝の風景写真を撮るため大型の4x5Cameraをかついで、

アシスタントのWと編集のMと、海岸の一番賑やかなところに向かった。

モデルのCHIHARUもスタイリストのRもヘアメイクのCも、今日の撮影はAM11時半からスタートなので、

とうぜんまだぐっすりと寝ている。

朝の海岸は、まるでインド、ガンジス川の沐浴のように、大勢の人々が水浴びをしているはずだ。

インドのように宗教的というよりは、朝の気持ちの良い時間に、海水浴といった雰囲気だ。

途中、少女たち4人組、みな19歳だそうだが、最初は恥ずかしがって照れていたが、

なんだかんだといって撮影させてもらった。その時の写真を今年の年賀状に使おうと思っている。

500mぐらい歩いた。ところがなぜか今日は、曜日のせいか、あまり人出はなかった。

10数枚撮影して、帰りは海岸通にでてシクロに乗ることにした。編集のMは初めて乗るシクロに感動していた。

ホーチミン市のシクロは、以前からくらべ激減した。

かつてはホテルから出るたびにシクロのドライバーがしつこくついてきて煩わしかったが、

今はそんなこともなく、情緒は減ったが、すこし楽になった。

だからニャチャンのようなリゾート地では、

のんびりしているのでまだシクロはたくさん走っていて便利な足となっている。

ホテルに戻り、朝食をとって、撮影の準備にかかる。

今日は、今回の撮影のクライマックス、ホテルから1時間半ほど車に乗り、

そこからボートで30分ほどの砂丘での撮影だ。

ベトナムでNUDEを撮影することは、例えばホテルのなかや、

外国人の住む建物のなかでは可能だとしても、屋外の撮影は全く無理な話だ。

なぜなら撮影の許可がでるわけはなく、(世界中どこでもそうだけど)もし他人に見つかれば、

警察に通報され逮捕されてしまう。その後はなにせ社会主義の国なにがあるかわからない。

そしてなによりも、ベトナムには人気のない場所なんてどこにもない。

もう10回ちかく訪れているベトナムでNUDEの撮れる場所を、ぼくはひとつも思いつくことができなかった。

それも森の中ではなく、当然海辺で撮影することを望んでいる。

当初、屋外の部分だけでもタイで撮るプランもあった。しかし僕はベトナムにこだわった。

そのため、別件の撮影も含めて約1週間ロケハンについやした。

普段は絶対に行くことのない、場所、地図とにらめっことして、人気のない海と砂浜。

ようやくもしかしたらとの予想で、ロケハンにでかけたのは10日以上まえだった。

10月x日
ニャチャンについたら、やはりここもホーチミン市ほどじゃないけど、天気が悪い。

8月すぎてからずっとこんな天気らしい。

コーディネーターのTさんの友人がマネージャーをしているホテルにチェックインする。

以前も泊まったことのある、高層ホテルだ。

このホテルは、

ニャチャンの風景をぶち壊したシンガポール資本の安ホテルだ。

(ちょっといいいすぎかもしれないが。できた当時は高級ホテルだった)でも、

久しぶりに泊まって、カーテンの柄も、だいぶましになっていた。

それにしてもも今はシーズンじゃないのだろう、客室はがらがらだ。

新しいホテルがどんどんできるので、経営も苦しいに違いない。

本番の撮影では、当然一番よいアナマンダラに泊まる。

朝食を、ホテルの前の海辺のレストランで食べた。

雨が強く降り出したので、ニャチャンの周辺をボートでのロケハンすることはやめ、

北に車で一時間半ぐらいの、半島になった砂丘を見に行くことにした。

以前このあたりの地図をみたときに、砂丘があったことを思い出したからだ。

ぴったり一時間半、貸切ハイヤー、トヨタクレスタに揺られた。顔に大きな傷のあるドライバーだった。

雨はすっかり止んでいた。

その周辺だけ雲はばらけて柔らかな光線が波のない内湾にきらきらと美しく反射していた。

その駐在所のある小さな漁村から、遥かに見える砂丘まで、ぽんぽん蒸気のような小船に揺られて30分。

ある日本企業が真珠の養殖をしている湾を横断する。

対岸に近づくとやはり小さな漁村があったりと、まったく誰も住んでないわけではない。

なるべく人気のすくない砂丘のふもとに接岸して、靴を脱ぎ、裸足で砂の丘をのぼった。

そこは理想的な場所だった。以前行ったファンティエットの砂丘は、海から少し離れているのと、

周りに山がないので、風景は砂丘は水平線しか見えなくなってします。

それだと、そこがベトナムだかどこだか、さっぱりわからない。

そして砂はさらさらで美しいが赤い砂だ。それに観光地なのでNUDEの撮影はまったく不可能だ。

それにひきかえ、ここなら周りの海や、山がベトナムが完全にベトナムの風景だ。

僕も、コーディネーターのTもここを発見して小躍りした。

ここだったらベトナムでNUDEが撮れると。

すっかり安心して、もうニャチャンでこれ以上ロケハンする必要がないので、

明日の朝は8時に、タクシーでホーチミン市に戻ることにした。

約7時間の旅だ。フライトが夕方しかないせいもあるが、

途中現在のファンティエットの砂丘も見ておきたかった。


am11時半出発の予定が、ホテルに注文した昼食用のサンドイッチが遅れ、

結局出発したのが11時50分になってしまった。

しかもH・C・M・C(ホーチミン市)で乗っていた新車のトヨタと違って、ロケバスはぼろのヒュンダイだった。

音ばかりでかく、サスペンションもがたがた。どうあがいても60キロ以上のスピードがでない。

それは大きな誤算だった。ロケハンの時はタクシーですっとばし、

1時間半で船着き場まで行ったのに、なんと2時間以上ももかかってしまった。

誤算は次々に襲ってくる。

船着き場につき、僕は唖然とした。なんたることか、

驚いたことに大潮で潮が引き、干潟になってしまっている。

予約していた船は沖合い100Mぐらいさきに停泊している。

手漕ぎの小船でさえ、50Mぐらいさきまでしかやってこれない。

ぐずぐずしているうちに、コーディネーターのTさんは、

駐在所にいる地元の警察官に尋問されているしまつ。最悪。

日本企業のお客さんが、養殖真珠の見学と、砂丘で休憩すると、コーディネーターは言いはった。

僕らはどうみてもそんな客には見えないと思うが、そういいはるしかない。

警察官は漁船を観光客に乗せるのは、まかりならんとの指摘。

しかもこの砂丘はかつてベトナム戦争後、ボートピープル密航の拠点だった場所だ。

今でも撮影禁止だという。それにひるまず、Tさん、いまベトナムは、

全土観光はOKなはずだ。

撮影禁止の立て札もたってないとくさがる。

それにもし砂丘までいけないのなら、お客と観光の契約を破ることになるので、賠償金をとられてしまうと泣きつく。

約30分。僕達は呆然と、干潟になった海をながめながら待ち続けた。

ようやくGO、がでてからは苦難の始まりだった。

手こぎ船までだって、撮影機材、衣装、アイスボックス、パラソル、

食べ物、ミネラルウォーターと荷物はたくさんある。それを皆でかついで歩き始めた。

干潟はぬるぬるどろどろ。しかも割れた貝殻が足の裏をちくちくとさす。

こんなことだったら、ダイビングようの靴でも持ってくるんだった。後の祭りだ。

なによりも潮のみち引きを計算しなかった落ち度。

ぐちりながらも途中荷物と女性陣を小舟に乗せ、

ようやく腰ぐらいまでの深さまでになって、皆漁船に乗り込む。

ロケハンのときの船外機つきの小舟が遅かったので、

漁船にしたが、スピードはたいしたことなく、やはり30分たっぷりかかってしまった。

ところがその船の大きさがまたまた悲劇を招く。

いままでの問題はほんの序の口だった。

途中密かに僕がおそれていたように、砂丘のある海岸も同じように遠浅の干潟だった。

船はなんと岸から300Mも先で、立ち往生だ。呆然とした。

しかも手漕ぎのボートもない。あるのは一寸法師が乗るような、丸い大きいザルのボートだけだ。

時間はもう午後3時にならんとしていた。考えている余裕はない。

どうやっても辿り着かなければ始まらない。

少なくともCameraとモデルだけでもさきに上陸して撮りはじめなければ。

僕は焦っていた。

快晴の午後の日ざしはじりじりと照りつける。

最初は腰ぐらいまである水も、すぐにひざぐらいになったが、

海藻や、貝殻や、漁師の網があったり、ひとでがいたり、足のうらはさっきにもましてとても痛い。

僕も一瞬何かを踏んだみたいで、化膿して腫れたらどうしよかと不安になった。

痛みをこらえながら何も考えず、ひたすら歩く。

それは永遠に感じるぐらいのながさだった。しかも濡れないように荷物を担ぎながらだ。

やっとのことで、ほんとにやっとのことで上陸したときには汗びっしょり。

もうくたくただった。太陽はあいかわらずさんさん。すでに3時を過ぎていた。

しかしその状態の光は最高のだ。

僕らは砂丘に駆け上がり、CHIHARUはメイクをなおし撮影を開始した。

そこは、それまでの困難が嘘のように別天地だった。

日ざしは強いが、風が気持ちよく抜け快適だった。

音はなく夕方の美しい斜光は、全裸のCHIHARUを浮かび上がらせた。

僕は夢中でシャッターを切った。構図など考えている暇はなかった。

光と背景だけを注意して、撮りまくった。

CHIHARUは、さっきまでの過酷な状態を忘れたかのように、気分よく動き回った。

ここは来る価値のある場所だった。撮影の目的がなければちょっとやそっとでくる場所ではない。

一時間ぐらい撮っていただろうか。

それまでは水も飲むこともなく汗だくでの撮影だった。

ようやく、西の水平線の上空のたまった雲に太陽が隠れたところでひと呼吸。

それからは冷静になりあたりを見回した。ベースキャンプは100Mぐらいはなれた場所。

すっかりのどがかわき、お腹がすいていたことを思い出し、撮影場所まで持ってきてもらい食らいついた。

夕方の撮影は時間との戦いだ。でも6時過ぎた光でも撮影は可能だ。まだ時間はたっぷりとある。

しかしそれよりも、この荷物をかかえ、暗くなった海を歩き船に戻ることのほうが問題だ。

もうなるようにしかならないので、気がすむまで撮ることにした。

それからは、わりとのんびりと撮影をした。ひかりは刻々と変化していた。潮風が気持ちがよかった。

CHIHARUちゃんは僕が要求した以外にも、全裸のまま自分の行きたいところ、

見たいところ、やりたいことをした。僕はときどきそんな彼女を追いかけながら撮影する。

ああ、写った。写っている。ぼくは確信していた。

これから日が沈んで、空の反射だけで照らされた光で撮影するまで、僕はさらに落ちついて撮影した。

あたりを見回し、ベトナムの空気を味わった。

日が沈み、朝と同じように空が紫のグラデーションにおおわれた時、撮影は終わった。

後一日。明日の早朝、ホテルのまえの砂浜での撮影で全て終わる。

船はさっきからくらべればずいぶん近くまでやってきた。

荷物を担いで船まで100Mぐらい、しだいに闇に包まれ皆が乗り込んだときは、すっかり暗くなっていた。

漁船は闇の海を進んだ。ときおりすれ違う漁船がライトを向けた。

僕とコーディネイターのTさんは、抱き合って撮影の成功を喜んだ。彼はずっと緊張していた。

外でNUDEの撮影がテーマだった今回の撮影は、ベトナムではタブーだ。

実際前日も彼はロケハンにきて、ボートの手配など準備万端だったはずが、今日きてみると一面干潟。

彼も焦ったと思う。そして警察官の尋問。へたをすると、すべてが無になるかもしれなかった。

その緊張感がずっと持続した撮影だった。

闇を走る漁船のなかで皆無口だったけど、ここちよい満足感にひたっていた。

空を見ると、絵に描いたような満点の星空。天の川がハッキリと煙りのように広がっていた。

天空のゆっくり移動する光跡。

UFOと誰かが言うと、コーディネーターのTさんが、あれは飛行機とにべもない。

船着き場までボートは接岸できた。時間はすでに7時近かった。

裸電球の光に照らされた船着き場は、

村のひとたち子供や赤ん坊も含めてが二十数名、集まっていた。

別に出迎えをしてくれたわけではないと思うが、まるで我々を歓迎してくれているみたいに歓声があがった。

帰りのバスは皆はハイになり、とくにCHIHARUちゃんは、

アカペラでいろいろ歌いまくった。みなそれぞれに歌い、

コーディネーターのTさんは、咽をならすように、「ニャチャンの秋」を歌った。

ホテルにもどり、シャワーを浴びて、レストランのいすに座ったのは9時半を過ぎていた。

本当に疲れたけど、僕は満足感でいっぱいだった。

皆も同じだろう。さあこれで99%撮影は終了だ。

明日は朝、4時半に起きて、5時からまだ暗い明け方の海岸で水着の撮影だ。

それで撮影はすべて終了する。