「一ノ瀬泰造のカンボジアの墓」 レポート/写真: 三本哲也
三本氏はインドシナ方面の旅行会社で働き、約2年間タイ・バンコク(そのうち2ヶ月はカンボジア・シェムリアップ)に駐在してました。カンボジア駐在中は、アンコール遺跡群のガイドもしていたそうです。現在は、友人とカンボジアでミニホテル(ゲストハウス)と旅行会社を始めるべく、働いていた旅行会社を退社してその準備中です。三本氏のカンボジアや泰造に関する思いも合せてお読みください。
墓までの道順
アンコール遺跡のある街、「シェムリアップ」市内から遺跡へまず向かいます。
途中、仏領インドシナの頃からある「GRAND HOTEL」や、
高級リゾートホテル「SOFITEL」、スイス政府の援助で建てられた「子供病院」等を、左手に観ながら進みます。
しばらくすると、遺跡へ行く人は必ず立ち寄らなければいけない、
「遺跡入場券チェックゲート」が右側にあるので、立ち寄ります。
ちなみに「アンコール遺跡群共通入場券」の値段は、
1日有効:US$20/PAX、3日有効:US$40/PAX、1週間有効:US
$60/PAXで、1日件以外は、適当なサイズ(3×3くらい)の証明写真が必要です。
「一ノ瀬泰造さんのお墓」は遺跡ではないので、「お墓だけに行く」と言えば、入場券を買う必要はありません。
ココまでは、皆同じとこを通ります。
その後、道を直進すると、正面にアンコール・ワットのお堀にぶつかりますが、
アンコール・ワットやアンコール・トムを見学する場合は、左折しますが、
いわゆる「小回りコース」やバンテアイスレイ遺跡などへ行く人は、右折します。
*「小回りコース」は、プラサットクラバン、スラスラン、バンテアイクデイ、
タ・プロム、タ・ケオ、トムマノン、チャウサイ・デボダの遺跡群を主に指します。
「小回り」「大回り」ですが、フランス政府がアンコールワット周辺の遺跡を修復したさい近めにある遺跡を「小回り」、遠めにある遺跡を「大回り」とし、見学しやすいように「道」を作ったためそう呼ばれます。
右折し、アンコール・ワットのお堀を左手に見ながらしばらく行くと、
右手にプラサット・クラバンという、3つの塔からなる遺跡が現れます。
さらに少し行くと、右手には人工池(スラスラン)、左手には寺院の遺跡(バンテア
イクデイ)が現れ、道も右に行くか左に行くかになります。
左手に見える、バンテアイクデイ遺跡は、日本国政府アンコール遺跡救済チーム
が、遺跡の修復活動をしている遺跡ですが、その壁にそって左折すると、
「小回りコース」というルートになり、ガジュマロの樹で覆われているので有名
な、「タ・プロム寺院」へ行きます。が、右手に見えている人工池「スラスラン」の方、右折します。
池の終わり辺り左側には、小学校があります。
さらに進みますと、左にプレループという、「大回りコース」で最後に行く遺跡が現れます。
*「大周りコース」は、プリアカーン、ニャックポアン、タ・ソム、東メボン、
プレループなどの遺跡を、主に指します。
その遺跡を左手に見ながら通過し、しばらく行くと林を切り開いたような場所を通
りますが、そこは昔、東バライ(西バライは現存しています)という貯水湖の堤防があった場所です。
少し進むと、右へ行く道があります。
曲がらず直進すれば、東メボンという遺跡に行きますが、右折しますと、バンテアイスレイ、バンテアイサムレ遺跡へと行く道です。
右折するとすぐ、プラダック村という小さな集落を両側に眺める事が出来ます。
小さい子供なだが、フルチンで走り回っています.....。
その村を通り過ぎるとまた、左へと行く道があります。
曲がらず直進すれば、バンテアイサムレという遺跡へ行きます。
左折すると田園風景が広がりますが、左側に小学校、
右側に「バンテアイスレイ」という名のレストランかお土産屋さんみたいなお店が
見えます。
それを超えたら、右側を注意して行きますと、小さいな木でできた看板ですが、
「TAIZO」と書いてある看板が入り口にある小道がありますので右折します。
右折せずに直進した場合は、東洋のモナリザで有名な「バンテアイスレイ遺跡」
や水中遺跡の「クバルスピアン」方面へと続きます。
小さな集落を通り約500M行ったところ左側に、
今度は漢字で「一ノ瀬泰造」と書いた看板がありまあすので、左折します。
そこはもう土手で車一台が通過するのにやっとの道ですので、
セダンンの場合は、そこで降りる必要があるかもしれません。
100Mくらい進むと、右側に「TAIZO」と看板があり、その反対側(左手)
を降りると、
「一ノ瀬泰造さんのお墓」があります。
お墓には、石碑、記帳ノート、作品(小説)のコピー(?)などがあり、
管理人(クメール人:男)がお線香をあげてくださいと、言ってきます。
「1$ください」とも、言ってきます....。
三本哲也氏の個人レポート
「カンボジア」
私がはじめて「カンボジア」を訪れたのは、
1996年の03月02日〜10日の期間で、大学在学中のことでした。
約2週間友人とタイを旅し、その後別れバンコク、
マレーシアホテル近くの旅行会社でジャカルタ行きの航空券を購入し、
インドネシアで別の友人と会い、またバンコクに戻ってきたあとのことでした。
私の努力が足りなかったのか、
いわゆる「カンボジア」についての日本語のガイドブックがまだ無く、
「lonely planet」のカンボジア編をしょうがなく購入し、
苦労して読んだわりには、よく理解できなかったのを覚えています。
バンコクの空港から、今は無き「ロイヤル・エアー・カンボジア」という航空会
社を利用し、首都プノンペンへ降りたち、空港でビザを取得後、
「プノンペンに着いたら、キャピトール」でお馴染みの、
ゲストハウスへ連れて行かれました。
カンボジアへ行く前に、バンコクの滞在先から日本にいる母親に連絡を入れ、
「これから列車で、タイ北部を旅する」と、嘘をついてまで行ってみたかった、カンボジア。
当時私は、「アンコールワット」「ポルポト派」くらいしか、カンボジアについての知識は無く、
本気で、「プノンペン市内からアンコールワットまでは、
どれくらい(時間)かかりますか?」と聞いて回ったほどです。
トンレサップ湖という、「東南アジア最大の湖」をスピードボートで突っ切れば、朝出れば午後2時頃には、アンコール遺跡がある街に着くと教えてもらい、
キリングフィールドやツールスレン博物館見学もそこそこに、
出発しました。
地元の新聞によると、私が利用した3日前に、同じ航路を通ってシェムリアップに向かった白人旅行者が、
船の中ではなく上(屋根の上)に乗っていた(白人は光合成が好きなので)ら、
川岸から何者かの銃撃を受け死亡、船も転覆し、確か3名死亡したらしいとの事。
ボートに乗る寸前にバイタクからその話をされ、
「くれぐれも気をつけてくれ」とエールをもらい、乗り込みました。
行きも帰りも、予算の関係でボートを利用しましたが、
幸いに、私のときは何も起こりませんでした。
ロクな資料も持たなかった私は、当然、遺跡についても全然わからず、
04日間の滞在でしたがアンコールワットと、アンコールトムしか行ってません。
資料が無い(正確には読んでない)ので、他の遺跡の存在がわからないのです。
毎日同じ遺跡を観にいってましたが、それでも、ただボーっとしているだけでも、 十分でした。
日本へ帰国し、何かのタイミングでカンボジアを思い出したとき、
しっかり調べて行くべきだったと、後悔しました。
皆さんも、「旅」を終えると必ずこう思いませんでしょうか?
それが、次回の「旅」へとつながるのでしょう。
私が初めて行った外国は、香港乗換えのベトナム・ハノイでした。
自由旅行が解禁された年、1993年の09月です。
その時もまだ、「ベトナム」を一冊にしたガイドブックがありませんでしたので、帰国後、後悔しましたが、行く前は「ベトナム戦争」のイメージしかありませんでした。
地理的に、同じインドシナという事で興味を持ち、その後カンボジアへも行きたいと 思い、
行ったわけですが、その頃、ガイドブックもちゃんとしたものが無かった
(と思います)わけですから、私の勝手なイメージでは、
まだ、バリバリ戦争が行われているんじゃいないかというのがあり、
自称現地特派員のような気持ちだったのを覚えています。
いろいろとインドシナ関係の本を読むと、
インドシナ地域で過去繰り返された「いろいろな戦争」について、
必ず説明がありますが、その中で戦争の写真を目にするようになり、
カンボジアで行方不明になられた、「一ノ瀬泰造さん」の事を知りました。
今(2002年)、アンコール遺跡を見学に来る人は、
日本人のいわゆるパッケージツアータイプの方でも、かなりの数になります。
数年前までは、「一ノ瀬泰造さん」の事をいろんな現地の人に尋ねても、
ほとんど「知らない」という返事でしたが、
今では、バイクタクシーの方から、「タイゾー?」「タイゾー?」と、
日本人旅行者に誘ってくるほどです。
「一ノ瀬泰造さんのお墓への行き方」については、その項を参考にしていただければ、自力(オートバイ等)でも行けます。
「地雷を踏んだらサヨウナラ」の本や映画の中でよく、
一ノ瀬泰造さんが食事をとる食堂がありますが、
現在でもありますので、ご紹介させていただきます。
レストランの名前は、「バンテアイスレイ レストラン」と言います。
場所は、シェムリアップ空港より市内へ、国道6号線を通って向かいますと、
右手に「ノコールプノムホテル」、さらに進んで「シティー・アンコールホテ
ル」を過ぎますと、「バンテアイスレイ ホテル」というのがあります。その少し市内寄り、向かい側にあるレストランで、完全なローカル向けのレストランです。
> > 店構えも大きいですが、エアコン等は無くファンが回っています。
お値段は、「シェムリアップで一番おいしいレストラン」と言われているためか、ローカルの割に少し高めですが評判もよく、役人や権力者などがよく朝食を食べにきています。
基本的に朝(08:00頃まで)が一番賑わっており、私も食べましたがおいしいです。外国の人が05品くらい、数人で食べても一人あたりUS$5くらいで済むでしょう。
お店の人に聞いたところ、映画や本でも登場する実在の人物の、
ママ(MS.CHIM LOK:68〜9歳)、チャンナ(37〜8歳)は今もご健在ですが、
お店で働いているわけではなく、
チャンナの姉夫婦が主にお店を切り盛りしているようです。
チャンナのお姉さんの話では、当時子供だった為、
「タイゾーの記憶はあまり無い....」そうですが、
一ノ瀬泰造さんが好きだったメニューは下記のとおりです。
・アモック(ココナッツミルクで煮込んだ、魚料理)
・FRIED FISH WITH GINGER
・グリル ポーク(豚肉を焼いたもの)
・SOUP CHI CHAY(のりスープ)
このレストランは、一ノ瀬泰造さんのご家族が訪れたこともあるそうですが、
店内には、「地雷を踏んだらサヨウナラ」のポスターが、
非常にわかりにくい場所に1枚張ってあるのみですので、
「一ノ瀬泰造さんがよく通った店」だと気付く人は、ほとんどいないでしょう。
また、パッケージツアーでも、ほとんど利用されません。
シェムリアップ中心地から車等で約40分のプラダック村(またはトルノトゥン村)の田畑が広がる場所の一角にあります、
「一ノ瀬泰造さん」のお墓は、以前は遺骨が発見された場所が
盛り土になっているだけでした。
「お墓」へ行く小道(土手のような道)は、車一台通るのがやっとなくらいの狭い道幅で、05月から09月頃までの「雨季」の間の通行は、かなり困難だと思います。
2001年04月08日に石碑が建てられ、敷地は「トゥウンさん」という地主らしき人が、 管理していて、訪れる人へお線香に火をつけて渡してくれます。
記帳ノートには、多くの日本人の名前が書かれており、
その横には小説のコピー(?)もあります。
多い日には20〜30名くらいの方が訪れるとの事ですが、
「お墓」がある敷地は木の柵で囲まれ、頑丈なカギがかけられ「管理」されています。
「木の柵」「鍵」は、多くの方が訪れる今となっては、
管理上しょうがないことなのかもしれませんが、
「1US$寄付してください.....」という管理人のセリフを聞いてしまうと、いかがなものかと考えさせられてしまいます。
少し「観光地化」されてしまっているように感じますが、皆さんは、どのように感じられますか?
現在、アンコールワットの西参道をはじめとした、
アンコール遺跡では、日本国政府アンコール遺跡救済チームが、
遺跡の修復作業をしており、訪れた方はその姿を見ることが出来るでしょう。
「アンコールワット」の十字回廊と呼ばれる部分には、
17世紀にアンコール詣でをした日本人が墨で書いた「落書き」が数箇所残っています。
「落書き」といっても、「○○参上!」などではなく、
保存状態がいいものは、「森本.....」など、文字が読めます。
カンボジアの首都プノンペンの近くの街で、「ウドン」という古都がありますが、
この「ウドン」には昔(朱印船貿易の頃)、ベトナムのホイアンやタイのアユタヤのように、
日本人街があったとされております。
「ウドン」という地名と、日本の食べ物「うどん」は、
何か関係があるのかもしれませんね....。
カンボジア国内には、今まで起きたさまざまな戦争の影響で、
さまざまな種類の地雷がまだ残っているのも事実ですが、
観光で訪れる範囲は、すでに撤去処理が終わっております。
アンコール遺跡には、「玉」の痕が残っている遺跡もあります。
いろいろな視点から、いろいろな「アンコール遺跡」、カンボジアを感じ取ってください。
三本哲也(みつもと てつや)
Happy Smile Tour
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