1996年、小説家の矢作俊彦氏と、創刊されたばかりの「OP」誌でパリに行った。 その雑誌は5号ぐらい発行してすぐに休刊してしまったけれど。でもサイゴンの昼下がりの写真も 一番最初は、「OP」で発表したものだ。 テーマはパリの異邦人、矢作氏がインタビューをして、僕は写真を撮った。 使用カメラはポラロイド690という、SX70と同型の、type600、ISO600のフィルムを使うカメラだ。 それが2台と、撮影するとプリントのモノクロのネガができる、 TYPE665というフィルムを使う、ポラロイドランドカメラ195を持っていった。 当時僕はなんでもポラロイドで撮ることに凝っていて、フィルムはかさばったものの、 機材は超軽量だ。三脚も小型のジッツォ1台。 TYPE665は、できあがったネガを硬膜処理するため無水亜硫酸ソーダ液に浸ける必要がある。 だから常にタッパを持ち運ばなければならなかった。 今もそうだけど、なぜポラロイドで撮影するかといえば、よく映らないからだ。それが魅力なのだ。 最近はフィルムやカメラの進歩で、ある意味写真は映り過ぎるようになってしまった。 ストレートに記録すること、純粋に視覚の描写としては目的を達しているけど、 実際人間は物を見る時、情緒的に、現実の時間のなかで見ているはずだ。 訓練した写真家のように、純粋に視覚のみで対象を見ることは、普通ほとんどないと思う。 まあ、だからこそ、視覚のみで対象を見つめる写真家の目は、興味ぶかいのだけど、 それはさておき、純粋な視覚のみにこだわると、ある意味リアリティを感じなくなる。 それはあくまで写真的リアリティでしかなくなるからだ。 現実から切り離された風景。大型カメラで克明に写された写真をみると、かえって非現実的に見えたりする。 、モノクロ写真はだから、ある意味何かが映っていいない。 すると写真を見る側は何かを想像して写真を見ることになる。 ポラロイド写真も似たようなことがあって、細部があやふやだから想像力をかき立てられる。 だから記憶のなかの風景のように、心理的にはリアリティがある。 モノクロの写真は、POLAROID195カメラで自然光で撮影した。 あまりフレーミングにはこだわらず、ラフに撮った。 もっとレンジファインダーなので、画面の四隅はよくわからない。 POLAROID690で撮影したカラーは、得意の懐中電灯(TWILIGHT TWIST)だ。 たいてい昼間の撮影だったので、その撮影は暗い場所でしか撮れないので、 納戸やトイレや、廊下の電気を消したりと、撮影場所に苦労した。 インタビュー写真をこのやりかたで撮ることは、自分自身とても気にいっている。 ただ、残念ながら機会がなくインタビューでこの撮り方をしたことはそれ以降一度もない。 (写真の部分を抜粋しているので、ページ構成は若干違ってます)
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