ロバート・キャパ最期の日
「ロバート・キャパ、最期の日」東京書籍 ISBN-487-80011-0 定価:本体1800円(税別)
装丁 原耕一(トラウト)
本書は、キャパの最期の日だけのドキュメントではない。
二度と戦争写真をもう撮らないと言っていたキャパが
なぜふたたび戦場に行ったのかが大きなテーマだ。
そのヒントがインドシナに来るまえ訪れていた、日本での3週間が大きな意味を持っている。
そして、5つの戦争経験したベテランがなぜ、不用意にも地雷を踏んでしまったのか。
僕がこの本で一番書きたかったことは、キャパ最後の日の心理だ。
それは、カメラマンにしか書けないと思ったからだ。
僕はキャパの死の直前までのコンタクトプリントを見ながら、
彼の見たもの、興味、構図、シャッターチャンス、
仕事の姿勢を、想像し、追体験した。
そのことによって見えてきたものは、
そしてなぜ、キャパが地雷を踏んでしまったかが、見えてきた。
口絵表
ロバート・キャパが最後に撮った、カラーとモノクロの写真。
カラー写真を最後に撮っている。カメラはニコンS ニッコール35mmf2.5
モノクロは、コンタックス2と言われている。
口絵裏
ロバート・キャパが最期の日、1954年5月25日の朝8時ごろ撮った写真。
キャパたち一行は、光の向きから推量すると、南もしくは南南東に向かっている。
この写真が、ナムディンからタイビンにどのルートで行軍したのかのミステリーだった。
ナムディンからタイビンの位置関係はほぼ西→東にあたる。朝の時間その道を
進めば太陽は真逆光状態になるはずだ。
少なくとも朝、この時間東には向かっていない。
そして土手の先に要塞が見えている。この場所はどこだろう。
もくじ
Prologue インドシナで死んだ二人のカメラマン 8
1 ロバート・キャパ、日本に到着する。
1 東京 20
2 熱海のブレクファスト 37
3 アドレ・フリードマン 43
4 焼津に原子の灰が降る 58
5 関西紀行 64
6 運命の電報 72
7 残されたネガ 84
2 インドシナ
1 ディエン・ビエン・フー 96
2 植民地インドシナ 106
3 「二度と戦争写真は撮らない」 115
4 キャパ、ハノイに到着する 123
5 出発 134
6 キャパの最期の土地 139
3 1954年5月25日火曜日
1 水牛作戦 166
2 フービーで船を待つ 172
3 静かな戦争 184
4 ドアイ・タン 189
5 写真家の死 200
Epilogue 225
FieldNote メモ 229
あとがき 234
協力、協力者・地図 246
後半部
本文228ページ
以下巻末資料付録
巻末付録は少し見づらいかもしれない。しかし、著作権の問題もあり、ぎりぎりこのような形で許可をもらった。
ただ、これはこれで、巧くできていると思う。
PBS制作「RobertCapLove and War」とキャパが最後に母親に書いた手紙。
そして愛煙していたチェスターフィールド。
左 弟のコーネル・キャパが撮った、キャパのラストショットとニコンS.右は同型機。
右モダンホテルと、左フービーの船着場。
妻はかつてベトミンの女闘士だった。右下のモノクロの写真には、
土手の先に要塞のようなものが見えている。この撮影場所が難しかった。
22号線、もしくは23号線。戦場とは思えないぐらいのんびりとした風景だ。
ドンキトンのさき、カンセ橋のたもとが深くえぐられ、修復に四時間以上もかかった。
そのすぐそばにある、未完成橋は今でも残っている。
右上、ドンキトンの要塞。そのした要塞跡。
キャパ最期の土地のすぐそばで、茶店があった。
地図
上 Capaが最後に撮った写真 1954年5月25日Pm2時55分ごろ。
2004年5月25日の風景
下 キャパ没50年後、2004年5月25日 の同じ場所 右側のカーブする道路にその面影がある。
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