Archival 日記 2004年4月15日


鷺沢 萠

4月15日

悲しい。鷺沢 萠 (さぎさわめぐむ) が死んだ。

今朝、昨日の留守電を聞いていなかったのでチェックしているとサギサワの秘書のOさんから伝言が入っていた。

連絡欲しい、とのことで携帯の番号も残されていた。

また、プロフィール写真を使用するから、と許可をもとめてきたのかなと思った。

もう、別にいちいちことわらなくてもかまわないと、言ってあったのに。またかな。律儀だ。

電話をすると、言葉につまったOさんがでた。

どうしたの?

「鷺沢が亡くなりました」

一瞬僕は意味がわからなかった。

サギサワの死?そんなところから一番遠いところにいると思っていた。

11日に亡くなり、親族のみで密葬をしたと言う。

しかしそうもゆかなくなり、昨日、親しい人たちに連絡をして通夜をしたという。

そして今日告別式だという。

それで昨日電話があったのだ。

もしこれたら来て欲しい、と声を詰まらせてOさんは言った。

僕は突然涙がぼろぼろでてきた。

なんで。なんでサギサワが死ぬんだよ。

「テレビや新聞をご覧なってますか?」

全然、何も知らない。見ていない。

それにしても、

なんでサギサワが死ぬんだよ。

僕は動揺して、悲しいだけで、それいじょう詳しくきくこともできなかった。

ようやく死因は?と聞いた。

「心不全です」とOさんは答えた。

心不全。うん、サギサワは死にそうなぐらい忙しかった。

6月に劇団の公演もするといっていたし、連載やかなりのプレッシャーもあったのだろう。

そう、サギサワは全力で走っていた。

だから心不全といわれて、酒飲みだし、タバコもガンガンすってたし、

僕は妙になっとくするものもあった。

無茶な女だからなあ。

いやでも早すぎる、なんで。無念だよ。

僕は電話を切ってから妻に「鷺沢 萠が死んじゃったよ!」と大声で叫んでしまった。

妻は、僕の写真展などで数回会っただけだ。

僕はネットで検索した。

そこに、サギサワが自殺だと書いてあった。

サギサワが自殺!ふざけるなよ。そんなやわな女かよ。

鷺沢 萠とは、1989年に会った。

18歳で文学界新人賞を取り、美人学生作家との触れ込みで、

週刊文春の原色美女図鑑で取り上げることになった。

僕と担当編集者は、新宿プリンスのバーで彼女と落ち合った。

たしかに美人だけれど、特別ということはなかった。そのころ僕はアイドルや女優を多くとっていたので、

美しい女性を見慣れていたせいもあるだろう。

それより鷺沢 萠はのびのびとした明るい女学生だった。

利巧ぶることもなく、ごく自然に会話は回転した。

その後意気投合して、歌舞伎町の居酒屋に行った。いやもっとしゃれたところだったかもしれない。

酒はどこまでもいけた。

僕にとってそのときの鷺沢萠は年も20も離れているし、妹のような、大げさにいえば娘のようでもあり、

この業界、表現をすると言う意味で、僕は全然先輩だった。

僕のおせっかいな薫陶を鷺沢は神妙に聞いていた。

そして今好きな男がいて、結婚しようか悩んでいるという。

僕は酔いにまかせて調子にのって、さっさと結婚して、

いやだったら分かれればいいじゃないかと、たきつけた。

小説家はなんでも経験しなくちゃいけないからね。

数日後、麻布スタジオの1スタで週刊文春の撮影をした。

白いホリゾント、何もない空間でサギサワは少し緊張しているように見えた。

ヘアメイクは矢野トシコだった。僕はサギサワをちょっとアイドルぽく撮影した。

彼女のまえに本を並べたが、どうしてだか忘れた。編集者のアイデアかもしれない。

その後、神宮外苑で赤いオープンカー、ロードスターを運転する姿を撮った。

スポーツカーに乗っているところを撮ってほしいと言ったからだ。

タシカソノクルマは、こちらが用意したものだ。

着物に着替え、神田に行った。

古本屋の店頭で撮影した。ノスタルジックな女流作家がイメージだ。

イメージもなにも、そのままなのだが、古きよき時代の女流作家のにおいが鷺沢には感じられた。

撮影後僕は鷺沢に、店の奥にいる、老いた女性店主にお礼を言ってきてと言った。

撮影の許可をとることもなく、かってに店先での撮影を、鷹揚にもだまってゆるしてくれたのだから、

鷺沢に礼を言って欲しかったのだ。

そのことを鷺沢は、後になっても言う。そういう礼儀を僕が教育したというのだ。

その後、洋服に着替えるため、文芸春秋社のビルのなかにある和室へ行った。作家が缶詰になる部屋だ、

そこをあがるとき、鷺沢はぞうりを、まるで子供のように脱ぎ飛ばした。なんじゃこいつは、行儀悪いな。

じゃじゃ馬。それが僕の鷺沢 萠の印象だった。

鷺沢 萠は美人だけど、まったく気取りがなく、本人はあまり色気もなかった。ただ写真に撮るとそこはか

となく、色香がただよった。

下の写真は20歳の鷺沢萠だ。ちょっとアイドルチックに撮っている。

その撮影後、サギサワはこの一連の写真を気に入ってくれた。友達にはサギだと言われたとはしゃいだ。

2年まえ、鷺沢萠にちょっと食事でもしないかと誘った。

彼女の住む自由が丘のキャンティで僕は待っていた。

用件は、後に僕が講談社より出版した小説「熱を食む裸の果実」を書いているときのことだ。

この小説が書きあがったらちょっと読んで欲しいと、お願いした。

ものを作ることでは僕は彼女のはるか先輩だけれど小説は彼女が大先輩だからだ。ちょっと批評がしてほしかった。

すると鷺沢はだったら、秋に公演する自分の劇団のパンフレットの写真を撮ってくれないかという。

それがバーターだと言った。もちろんそんなことはお安い御用だ。

夏、当時僕は池尻の大きな一軒家に住んでいて、二階をスタジオにしていた。

そこで若い団員を撮影した。

打ち合わせのとき鷺沢は、奇妙なことを言った。

自分のことは撮らなくていいという。

そんな、僕はせっかくだから撮ろうよと言った。返事はなかったが、

当日すっかりその気になって、サギサワはカメラの前に立った。

その写真が上のモノクロ写真だ。もっといろんな表情を撮ったと思ったが、

なぜかサギサワは、この写真が気に入った。

今見るとどこかさびしげ、凛と孤高の女って感じだ。

もっとかわいく、そして美人に撮ることもできたが、正面からそのまんま撮った。

その後、僕の小説が書きあがったので読んでもらうことになった。

彼女の自由が丘のマンションに行った。Oさんもいた。酒を飲みながら雑談。

僕の原稿をぱらぱらとめくって、小さなアドバスをくれた。

彼女は、さらっと読んだだけだったが、秘書のOさんが深く読んでくれた。

僕はどこか出版社を紹介してとお願いした。

だったら優秀な女性編集者のいるという、K社を紹介してくれた。

結果的に土壇場で担当部署のOKはでたが最終会議で

ある重役の反対にあい、その出版社からは、出版されることはなかった。

結局は講談社から出版されたが。

それでも、サギサワが紹介してくれて、K社の編集者が読み込み、多くのアドバスをもらえたからこそ、

次の講談社ですぐに決まったのかもしれない。

サギサワは律儀な人間だ。新しい本をだすと必ず送ってくれた。

僕の写真展にも必ず顔をだす。沖縄の金武の町で写真を撮り、それをアサヒカメラに発表したとき、

その写真を興奮して褒めてくれた。褒め方は一方的だ。自分の思いを熱く語った。

去年の赤坂での写真展にも、春の銀座の写真展にも来てくれた。そして酒を飲んだ。

いったい僕は何回ぐらいサギサワと会っているだろうか。

あんがい少ないと思っていたが、うちのホームパーティに来てくれたこともある。

いわゆる友人とは違うが、会えばすぐ普通に会話が成立した。

サギサワは一見、親父っぽく、豪快だけれど、とても繊細でおどおどした面もあった。

でも自殺はなぞだ。

そんなたまじゃないぐらい、本人が一番知ったいたはずだ。

思いつめたというより、突発的、まっしぐらってこともあるし、酒飲みだし、

まちがっちゃったのかなあ。悲しいよ。むかつく。

どうなってんだよ、サギサワ。

君のばあさんになった

すがたを想像できたのに、若くして死にやがって。

かっこつけんな。

かわいかったな。

いい女だったよ。これは20歳のサギサワだ。

思いではいくらでもあるけれど。

でもそれにしても、自殺はないだろう。サギサワ!

合掌。

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