■11  JUN.1973 Karuizawa Nagano Japan
 すでに僕はアシスタントをしていた。たまの休みには必ず撮影に出かけた。
 軽井沢、浅間山の麓の駐車場に、ちょっとキメたカップルがいた。
 カローラスプリンターのラブのシールが微笑ましい。
 ハッセルブラッド500CM、レンズはプラナー80mm。TRI-X

■12 MAY.1974 Harajuku Tokyo
 ロンドンブーツが大流行だった。
青山のHOSONOにはヒール10センチ以上のブーツがた
くさん並べられていた。
 原宿は今ほど賑わってはいなく、落ち着いた街だった。
同潤会アパートは寂れていた。
 ハッセルブラッド500CM、レンズはプラナー80mm。TRI-X

■13 NOV.1973 Tomei Ebina Kanagawa Japan
 まだ暴走族と呼ばれる前、彼等はサーキット族と呼ばれていた。
 週末に東名高速海老名サービスエリアに、爆音を轟かせた、改造車が何十台も集まってきた。
ナンバープレートをはずし、レーシングタイヤに履きかえる。
 さながらサーキットのピットだった。本線にでて、厚木の料金所の前でUターンを
する。そのうちかれらは、繁華街を走りまわり、暴走族とよばれるようになった。
 この写真と他に3点の写真が1974年のアサヒカメラに掲載された。
 ハッセルブラッド500CM、レンズはプラナー80mm。TRI-X

■14 AUG.1973 Inamuragasaki Kanagwa Japan
 桑田佳祐の稲村ジェーンという映画があったけれど、稲村ケ崎の脇の袖ヶ浦の浜辺
は、かなり前からサーフィンが盛んだった。
ここにならんで座っている少女たちは正真正銘の日本人だ。
彼女らのファッションやメイクは、今見ても少しも古くない。25年以上前の僕の目に
は、まぶしいぐらいカッコイイ少女たちだった。一番左と右から二番目の少女は姉妹
だ。一番右の少女は15歳でアンリといった。彼女は18歳になったときモデルとしてデ
ビューした。今の時代と何が違うかというと、彼女たちは一日浜辺でボーイフレンド
がサーフィンをするのを岸辺から眺めているのだ。
山口百恵のロックンロールウイドー
が流行っていた。さしずめ彼女たちはサーフィンウイドウだ。
今なら、少女たちはサーフィンを眺めるのではなく、きっと一緒に楽しんでいるに違いない。
 ハッセルブラッド500CM、レンズはプラナー80mm。TRI-X

■15  MAY.1975 Omotesandou Tokyo
 原宿や表参道の歩行者天国が盛んになる以前から、
原宿にはこういった若者が集まってきた。
耳にピアスをする男の子は珍しい時代だった。それでもしてる子はいた。
 僕はこのころ、集団でたむろしている、僕と同世代の連中をよく撮影した。群れて
いるので、「パーティ」というタイトルだった。まだ、アシスタント時代だったので
時間が なかったが、休みの日になると撮影をした。
1975年の9月に僕はフリーになった。それまでと違って、時間は充分あったのに、
彼等たちを撮ることになぜか興味を失っていた。それより、タレントやファッション
の撮影に夢中だった。今より広告やファッションの仕事が輝いて見えていて、日常の
写真を撮ることには興味を失っていた。
 ハッセルブラッド500CM、レンズはプラナー80mm。TRI-X