1994年初めてベトナムを訪れてからすっかりはまってしまい何度も行くことになる。 そんなとき、そういえばロバート・キャパはベトナムで地雷を踏んで死んだのだということを思い出した。 ところが、キャパの最期の場所に行ったと言う話を聞いたことがない。 調べているうちに、キャパの最期は、当時同行取材をした、タイムライフ誌の記者 ジョンメクリンにより、時間や距離、要塞の名前など、かなり詳しく記されている。 キャパの死の瞬間についても、そのアクシデントの後、数分でその場所にゆき目撃している。 その記事をもとにかかれた、リチャードウイーランの伝記にはさらに詳しく書かれている。 僕はそれを読んで、すぐに場所は特定できると気楽なつもり、花でも手向けようと 1998年の6月に、でかけた。ところが、現地でロバート・キャパの名前を誰も知らないのは当然として、 伝記に書かれてるような、ナムディンとタイビンの間に、そのような名前の要塞はないし、 さまざまな矛盾があった。狐につままれたような気持ちなり、その時は発見できなかった。 これは、きちんと調査してこないと見つからないと思ったのである。 そして、2004年、キャパ没50年の年についに見つけだすことができた。 その発見の顛末と、なぜキャパがもう、戦争の写真は撮らないと言っていたのに、 再び戦場に来てしまったのか、そして戦争写真のベテランがなぜ地雷を踏んだのかを 書いたのが本書だ。 ロバート・キャパ、インドシナで地雷を踏むまでの42日間の足取り ●ロバート・キャパ最期の日 (東京書籍) 諸事情で重版はないようです。ただ電子本に近いうちなりそうです。 ●ロバート・キャパ最後の日BLOG 過去のものです。更新はしていません。 |