AYPC Exhubition dearly daya 2016
第6回 AYPC 写真展 DEARLY DAYS 2016 CRP #ありふれた光景 デジタル写真集の誕生によって、 写真はだれもが自由に発表できる場を獲得しました。 特別なものより“ありふれた光景”へのまなざし。 それこそが写真世界を広げてゆくキーワードです。 今年のAYPC写真展ではそのライブな空間で、 写真の新時代と可能性を体感してもらいます。 AYPC(Alao Yokogi PhotoClub)代表 横木安良夫 [開催概要] 2016年10月26日(水)~30日(日) 10:00 - 18:00 (6日、最終日は 16:00 まで) 目黒区美術館区民ギャラリー
博物館へ行こう 石坂 博司 夜の博物館に行ってみた。 標本が動き出したりすることはもちろん、ない。 展示室は昼間でも外光が入らないのでさほどの変化はないように思えるが、 静まった空間では自分の神経が研ぎ澄まされる。 標本のそれぞれが持つ時間軸が圧縮された空間では、 目の前にあるモノを見るということ以上に想像を膨らませることができる。 カメラを向けてフォーカスを外すことによってその背景が見えてくる気がする。そこに写る背景は、自身の潜在意識と重なり合っているようにも思える。
END of HABITAT - AKASHI 2016 亀井 義則 父と母は結婚して兵庫から東京へ移り、それから4回住む場所が変わった。介護する祖父母が亡くなって父の定年退職を期に、自分達が生まれ育った兵庫へ帰ることにした。 父は「煙草で死ねたら本望」と言って禁煙しなかったが、移り住み始めて然程経たない内に肺を悪くして死んでしまった。母は独り残され江井ヶ島という小さな街に住んでいる。 2人の妹が面倒を見ているから滅多に実家に帰ることは無いが、此方に出て来たついでに会った。自分の2つ折りの携帯電話で私の写真を撮りたいと言う。今まで私を撮った事は無いから何故なのか聞くのも気が引ける。 半年くらい経っても何か引っ掛ってもどかしい。近くに用事が出来たと嘘を付いて実家へ行くことにした。昔と変わらない姿を見せようとする母に、撮った理由は聞かなかった。
yokohama underground vol.1 「街角たち」 草野 康太 僕の、私的な、ヨコハマの記録です。 恐らくガイドブックには載ることのない、 ヨコハマの裏町の、「街角たち」の写真です。 歩いて撮って、飲んで撮って、休んで撮って、また飲んで… 何かを待ちながら、街の小さな角に張り付いて、カメラを構える。 僕もまた、この街の、名もなき「街角たち」のひとりです。 2007年から撮り続けてきたヨコハマの写真を見返していると、 もう会えなくなった人や閉じた店のことを思い出し、 僕の、私的な記憶たちが蘇ります。
Tokyo in My Memory 平野 勝久 今でも東京は憧れの地である。 最初に出会った東京は九州の小さな港町の生家で見たテレビドラマだった。白黒のブラウン管に映るビル街でのカーチェイスが繰り広げられた。 初めての上京は、バブルが終焉を迎えるころだった。 首都高を駆け巡り、夜の六本木・銀座・新宿のはしご生活を繰り返す中で、綺麗な色と形だけが残像となった。 その後の関西の生活は、東京の色と形をどんどん曖昧にした。 突然の東京への転勤と予想しなかった写真家活動の再開が、私の東京を再構成した。シャッターを切るとカメラの中へ埋もれていた記憶が露出し、東京らしい色と形に姿を変え写真の中に溢れ出す。 カメラという道具は記憶を書き換える。 移り変わる東京と記憶の中の東京が融合し写真となり、再び東京の記憶として上書きされる。 最近子供が生まれた。彼との関わりは東京の記憶をどう変えるのか? 次の「Tokyo in My Memory」にその答えはある。
旅人の目線 沖 成人 アメリカ大陸に渡ると、肌の色も髪の色も目の色も違う人々が混在して生活している光景が不思議見える。 しかし、そこで生活している人々にはそれは 何の不思議もない日常だ。だから日本という小さな島国から来た旅人がそこに居ても気に留めることもない。 アメリカ各地に生活する人々にとっては毎日見慣れた日常の光景もそこを訪れた「小さな島国から来た旅人」には全てが非日常の印象に残る光景なのだ。 それはきっとそこで生活している人とは違った目線で光景を見ているからだろう。 Where are you from? 森 まき いつ・どんな風にやって来るかわからない宿命を、あるがままに受け入れる人間の姿は美しいと思います。自分の宿命をいじることはできないし、ましてどれだけ大切に思っても他人の宿命はどうすることもできない。人は人を、ただ目の前に確かにいるとき、愛するしかできないのです。それでも悪い知らせがあった日、別のいいことがあったりするし、世界は急に終わったり変わったりもしません。大切な人と暮らした日々の悔いのない思い出があれば、しばらくはつらくても、心の豊かさは消えないでしょう。だから私は世の中それほど捨てたものじゃないし、生きるのはまんざら悪くないと思うのです。 あなたはどこから来たの?どこへ行くの?
Swimming Beach 竹内 幹雄 そこは、地区を挙げての憩いの場所でした。 昔からずっと。 Night After Night(夜な夜な) 上野まりあ 紫に染まる夜を待ちながら 都会の光を眺めるよ 一人になると本当の自分に 向き合えるようなきがする コバルトに浮かぶ月と星達は 過去と未来を教えてくれる 朝夕が美しいのはきっと 夜の演出があったから 夜な夜な物思いにふける 夜な夜な空を見上げるよ 夜な夜な未来の夢を見る 夜な夜な全てに感謝して 潮騒と心地よい風が 記憶を集めてくれるよ あの時の感動が 私を導いてくれた 私も誰かに伝えたい 難しく考えないで素直に 歌う、書く、撮る、描く… 繰り返し表現していくよ 全ては意味のある過ち 愛と許しを学ぶため 全ては偶然から必然へ 私を成長させるため
a day in the life (2016.08.21) 「CRP 第2弾 "ORDINARY DAYS 2" より」 三宅 秀幸 なにかとてつもなく巨大な力が、僕らを強力に引っ張っている、そしてその力に導かれるように僕らは進んでいる。 運命といえばそうなのかもしれない。しかし、それはきちんと自分で決めた道、間違ってはいない筈だ。 これから進む道が間違いでないことを、空と海、いや、この地球上、全宇宙が証明し、そして祝福してくれている。 2016.8.21。いつもと変わらない筈のこの日は、全視界、全五感、いや六感で、それを一層強く感じさせる日だった。
HIKARI 2014-2015 
Tokyo Suburban Sisters JAPAN 赤松 幸生 この春で大学を卒業し社会人になった。 就活等の試練を乗り超えたと思ったら、さらに厳しい社会の荒波を受けることになり、毎日悲鳴をあげながら頑張っているところだ。 父親っ子で、小さいころから一緒に過ごしたり、日々の出来事の話をする機会が多かった。社会人となった今でもそれは変わらず、毎日のように世の中の理不尽さを愚痴ってくる。父親の役回りとして、嫌がられるのも覚悟で、「もう大人なのだから、おまえのためだから、しっかりしなさい」と、厳しい言葉をよく返す。本当は、未だに一緒に過ごせる時間を、心から嬉しく思っているのだが・・・、父親とは実に損なものだと思う。この2年間の写真を見返してみると、大人の女性らしい本当に美しい姿になってきたと感じる。 着実に大人へと進む姿は嬉しくもあり、また、確実に近づく別れの時を切なく思ったりもしている。残り少ない密な時間を埋めるように、おそらく自分にしか見ることのできない姿を、精一杯撮り続けていこうと思う。
NOZOMI 2014-2015 Tokyo Suburban Sisters JAPAN 赤松 幸生 この2年間で高校生から大学生になった。 自分であちこちと出かけるようになり、化粧なども覚えてずいぶんと大人っぽく、また、きれいになった。それとともに、一緒に過ごす時間は随分と少なくなった。写真を撮れるのも、家族旅行や記念の食事など、ごく限られた機会しか無くなった。もともとそう親密な関係ではなかったが、いざそうなるとやはり少々寂しくも感じる。しかし、ある意味成長していることの現れなのだから、父親としては喜ばねばならないのだろう。一方で、夜遅く帰ってきたかと思えば、学校や友達との出来事を延々と語り続けることもある。 「明日も仕事だから・・・」と表向き迷惑そうに言いつつも、「どれどれ・・・」と内心喜んで聞いていたりもする。父親としては矛盾する話だが、まだ大人になりきれない部分があったり、悩みを持ちかけられたりすることが嬉しかったりするのだ。本当に大人になって離れていく時まで、今しばらくは微妙な距離感を保ちながら、その移りゆく姿を撮り続けていこうと思う。
Daily life of Paris 2016 平久保雄大 パリ同時多発テロから少し経った2016年2月、 長年の憧れであったパリへとやってきた。美しい景観、地下鉄車内でパフォーマンスをする人など、その全てが私にとって非日常であった。 そんな沢山の刺激を受けシャッターを切っていると、ふとあることに気づく。 街の人々はまるでテロなどなかったかのように普段通りに振る舞っていることを。 私はそれを見たときパリの強さを感じたのと同時に、勇気づけられた。 そして、それに気づいた時、自分が持っていた恐怖心から解放されていったのだ。
秋の庭 山口 優 自分にとって大切なものって、どんどん変わっていくんだなって思っていた。 でも、変わってくのは自分自身なのかもしれない。 季節が巡って秋が来て、庭にオレンジのキノコが生えた。 去年はなかったやつ。そのキノコが気になって仕方がなくて、毎日写真に撮っている。あのキノコはきっと女の子。 来年も会えるかな。
RETREAT 中島ひろ子 大人になってから引っ越してきたこの家には、ノスタルジーも愛着もない。 都会で育ったから、不便な土地のこの家に、愛着など湧きようがなかったのだ。ただ寝るだけの場所。朝と夜しか知らなかった。 仕事を辞めて、朝から晩まで、この家にいることになった。 ゆっくりとした時間を過ごすうちに、家のなかにも、いろいろな表情があることに気付いた。 「家の中に撮るものなんてない」 と言っていた自分が、気が付くとレンズを向けている。 それから数年が過ぎて、仕事にも就いて、今はこの家を出ている。 しばらくしてこの家を訪れた時だ。突然、ここが「安心できる場所」であることに気付いた。相変わらず、懐かしさやスタルジーは感じない。 でも、それとは違う安堵感があった。 この家は今、安らげる場所となっている。
心地よい空気 中村 言実 朝起きて、着替えて化粧をして家を出る。 駅までの道のりは20分ほど。 帰りもその道をたどって戻ってくる。 目の前にはいつもの風景が広がっているのだけれど、 「あ!これ大好きだな」と思うと、立ち止まってしまう。 昨日も今日も同じはずの空気の中に、 何か特別なものが光っている時がある。 だから明日もその心地よい空気を感じたくなるのかもしれない。
Long Slow Distance × She is running 冨岡武 Long Slow Distanceとは、長い距離をゆっくりと走るマラソンのトレーニングのことだ。毛細血管まで血液が循環し、酸素が行き渡るにつれて五感が研ぎ澄まされてくる。光が見え、風の色が見え、水や花の匂いが見えてくる。 LSDは日常の光景を再発見する小さな旅なのだ。 そこで発見したなぜか気になる光景を再訪し、ときどき娘と一緒に走る。僕にとって彼女はトライアスリート仲間であり、写真モデルでもある。 子供の頃の記憶は、都合のいい部分だけが強化されて残るそうだ。 小さい頃から「大丈夫、写真を見れば思い出せるから」と彼女は言う。 この写真は何かを残すだろうか。 撮影はすべてiPhoneです。
Anyway Someway 清信一芳 周りを見れば誰もが真剣な顔をしている。 ある人は誰かの誕生日に引っ掛けたり、ある人は競馬新聞のマークを頼りにしたり、ある人は予想サイトの情報を仕入れたり、ある人はあてずっぽうに番号を選んだり、ある人はパドックで見た毛並みの綺麗な馬を選んだりして、誰もが自分はこの馬券を当ててやるのだと思っている。 この配当で何をしてやろう。 馬が走り出す。 腕を上げ、あらん限りの声を出し、ここからおれの馬が来るのだ。 一気に坂を駆け上がり目の前の直線を一番で駆け抜けていくのだ。 このままのはずがないと競馬新聞を握る手に力が入る。 歓喜と落胆。次のレースは逆かもしれない。 そう思った帰り道、気づくと馬の駆ける地響きが耳の奥に響いている。
KAKINOKI VILLAGE SHIMANE JAPAN JIKKA SCENES 03(Summer & Autumn 2016) -耳を凝らして見る- 七咲 友梨 山の生活は刺激がすくなくてシンプルです。 夜はとても暗闇になり、朝には霧がでて、よく見えません。 闇や霧のなかでわたしは、よおく見ようとしました。 そうすると、耳を凝らすように見ている自分に気がついたのです。 耳を凝らして見ていると、わたしの感覚はしだいに澄みわたって、 ふだん潜んでいるいろいろな気配が訴えかけてきます。 まるで違う言語で話しかけてくるそれらに集中すると、物理的な大きさの感覚がすっと消えました。 小さなものの大きなところ、大きなものの小さなところが見えてきたのです。
横木安良夫 双眼鏡の女 2016年の夏にCRPとして発表した作品。寺山修司系の劇団APB東京の公演のための写真の撮りおろしです。演劇というフィクションを、リアルな世界を切り取ることを求められている写真で描く。実は写真の解放は、フィクションといかに向かいあうかというとだと思ってます。フィクションの中のリアル。そんなことを楽しんでみてください。
あの日の彼 あの日の彼女 1967-1975 僕が大学の写真学科に入った18歳からアシスタントをへて独立する1975年まで、 プロになる前の写真をまとめたものです。無目的な写真。すべて国内で撮影された写真。 今見ると、写真と被写体との距離感、興味はこのころできあがったものだとわかります。
AYPC Exhubition dearly daya 2016
第6回 AYPC 写真展 DEARLY DAYS 2016 CRP #ありふれた光景 デジタル写真集の誕生によって、 写真はだれもが自由に発表できる場を獲得しました。 特別なものより“ありふれた光景”へのまなざし。 それこそが写真世界を広げてゆくキーワードです。 今年のAYPC写真展ではそのライブな空間で、 写真の新時代と可能性を体感してもらいます。 AYPC(Alao Yokogi PhotoClub)代表 横木安良夫 [開催概要] 2016年10月26日(水)~30日(日) 10:00 - 18:00 (6日、最終日は 16:00 まで) 目黒区美術館区民ギャラリー
博物館へ行こう 石坂 博司 夜の博物館に行ってみた。 標本が動き出したりすることはもちろん、ない。 展示室は昼間でも外光が入らないのでさほどの変化はないように思えるが、 静まった空間では自分の神経が研ぎ澄まされる。 標本のそれぞれが持つ時間軸が圧縮された空間では、 目の前にあるモノを見るということ以上に想像を膨らませることができる。 カメラを向けてフォーカスを外すことによってその背景が見えてくる気がする。そこに写る背景は、自身の潜在意識と重なり合っているようにも思える。
END of HABITAT - AKASHI 2016 亀井 義則 父と母は結婚して兵庫から東京へ移り、それから4回住む場所が変わった。介護する祖父母が亡くなって父の定年退職を期に、自分達が生まれ育った兵庫へ帰ることにした。 父は「煙草で死ねたら本望」と言って禁煙しなかったが、移り住み始めて然程経たない内に肺を悪くして死んでしまった。母は独り残され江井ヶ島という小さな街に住んでいる。 2人の妹が面倒を見ているから滅多に実家に帰ることは無いが、此方に出て来たついでに会った。自分の2つ折りの携帯電話で私の写真を撮りたいと言う。今まで私を撮った事は無いから何故なのか聞くのも気が引ける。 半年くらい経っても何か引っ掛ってもどかしい。近くに用事が出来たと嘘を付いて実家へ行くことにした。昔と変わらない姿を見せようとする母に、撮った理由は聞かなかった。
yokohama underground vol.1 「街角たち」 草野 康太 僕の、私的な、ヨコハマの記録です。 恐らくガイドブックには載ることのない、 ヨコハマの裏町の、「街角たち」の写真です。 歩いて撮って、飲んで撮って、休んで撮って、また飲んで… 何かを待ちながら、街の小さな角に張り付いて、カメラを構える。 僕もまた、この街の、名もなき「街角たち」のひとりです。 2007年から撮り続けてきたヨコハマの写真を見返していると、 もう会えなくなった人や閉じた店のことを思い出し、 僕の、私的な記憶たちが蘇ります。
Tokyo in My Memory 平野 勝久 今でも東京は憧れの地である。 最初に出会った東京は九州の小さな港町の生家で見たテレビドラマだった。白黒のブラウン管に映るビル街でのカーチェイスが繰り広げられた。 初めての上京は、バブルが終焉を迎えるころだった。 首都高を駆け巡り、夜の六本木・銀座・新宿のはしご生活を繰り返す中で、綺麗な色と形だけが残像となった。 その後の関西の生活は、東京の色と形をどんどん曖昧にした。 突然の東京への転勤と予想しなかった写真家活動の再開が、私の東京を再構成した。シャッターを切るとカメラの中へ埋もれていた記憶が露出し、東京らしい色と形に姿を変え写真の中に溢れ出す。 カメラという道具は記憶を書き換える。 移り変わる東京と記憶の中の東京が融合し写真となり、再び東京の記憶として上書きされる。 最近子供が生まれた。彼との関わりは東京の記憶をどう変えるのか? 次の「Tokyo in My Memory」にその答えはある。
旅人の目線 沖 成人 アメリカ大陸に渡ると、肌の色も髪の色も目の色も違う人々が混在して生活している光景が不思議見える。 しかし、そこで生活している人々にはそれは 何の不思議もない日常だ。だから日本という小さな島国から来た旅人がそこに居ても気に留めることもない。 アメリカ各地に生活する人々にとっては毎日見慣れた日常の光景もそこを訪れた「小さな島国から来た旅人」には全てが非日常の印象に残る光景なのだ。 それはきっとそこで生活している人とは違った目線で光景を見ているからだろう。
Where are you from? 森 まき いつ・どんな風にやって来るかわからない宿命を、あるがままに受け入れる人間の姿は美しいと思います。自分の宿命をいじることはできないし、ましてどれだけ大切に思っても他人の宿命はどうすることもできない。人は人を、ただ目の前に確かにいるとき、愛するしかできないのです。それでも悪い知らせがあった日、別のいいことがあったりするし、世界は急に終わったり変わったりもしません。大切な人と暮らした日々の悔いのない思い出があれば、しばらくはつらくても、心の豊かさは消えないでしょう。だから私は世の中それほど捨てたものじゃないし、生きるのはまんざら悪くないと思うのです。 あなたはどこから来たの?どこへ行くの?
Swimming Beach 竹内 幹雄 そこは、地区を挙げての憩いの場所でした。 昔からずっと。 Night After Night(夜な夜な) 上野まりあ 紫に染まる夜を待ちながら 都会の光を眺めるよ 一人になると本当の自分に 向き合えるようなきがする コバルトに浮かぶ月と星達は 過去と未来を教えてくれる 朝夕が美しいのはきっと 夜の演出があったから 夜な夜な物思いにふける 夜な夜な空を見上げるよ 夜な夜な未来の夢を見る 夜な夜な全てに感謝して 潮騒と心地よい風が 記憶を集めてくれるよ あの時の感動が 私を導いてくれた 私も誰かに伝えたい 難しく考えないで素直に 歌う、書く、撮る、描く… 繰り返し表現していくよ 全ては意味のある過ち 愛と許しを学ぶため 全ては偶然から必然へ 私を成長させるため a day in the life (2016.08.21) 「CRP 第2弾 "ORDINARY DAYS 2" より」 三宅 秀幸 なにかとてつもなく巨大な力が、僕らを強力に引っ張っている、そしてその力に導かれるように僕らは進んでいる。 運命といえばそうなのかもしれない。しかし、それはきちんと自分で決めた道、間違ってはいない筈だ。 これから進む道が間違いでないことを、空と海、いや、この地球上、全宇宙が証明し、そして祝福してくれている。 2016.8.21。いつもと変わらない筈のこの日は、全視界、全五感、いや六感で、それを一層強く感じさせる日だった。
HIKARI 2014-2015 
Tokyo Suburban Sisters JAPAN 赤松 幸生 この春で大学を卒業し社会人になった。 就活等の試練を乗り超えたと思ったら、さらに厳しい社会の荒波を受けることになり、毎日悲鳴をあげながら頑張っているところだ。 父親っ子で、小さいころから一緒に過ごしたり、日々の出来事の話をする機会が多かった。社会人となった今でもそれは変わらず、毎日のように世の中の理不尽さを愚痴ってくる。父親の役回りとして、嫌がられるのも覚悟で、「もう大人なのだから、おまえのためだから、しっかりしなさい」と、厳しい言葉をよく返す。本当は、未だに一緒に過ごせる時間を、心から嬉しく思っているのだが・・・、父親とは実に損なものだと思う。この2年間の写真を見返してみると、大人の女性らしい本当に美しい姿になってきたと感じる。 着実に大人へと進む姿は嬉しくもあり、また、確実に近づく別れの時を切なく思ったりもしている。残り少ない密な時間を埋めるように、おそらく自分にしか見ることのできない姿を、精一杯撮り続けていこうと思う。
NOZOMI 2014-2015 Tokyo Suburban Sisters JAPAN 赤松 幸生 この2年間で高校生から大学生になった。 自分であちこちと出かけるようになり、化粧なども覚えてずいぶんと大人っぽく、また、きれいになった。それとともに、一緒に過ごす時間は随分と少なくなった。写真を撮れるのも、家族旅行や記念の食事など、ごく限られた機会しか無くなった。もともとそう親密な関係ではなかったが、いざそうなるとやはり少々寂しくも感じる。しかし、ある意味成長していることの現れなのだから、父親としては喜ばねばならないのだろう。一方で、夜遅く帰ってきたかと思えば、学校や友達との出来事を延々と語り続けることもある。 「明日も仕事だから・・・」と表向き迷惑そうに言いつつも、「どれどれ・・・」と内心喜んで聞いていたりもする。父親としては矛盾する話だが、まだ大人になりきれない部分があったり、悩みを持ちかけられたりすることが嬉しかったりするのだ。本当に大人になって離れていく時まで、今しばらくは微妙な距離感を保ちながら、その移りゆく姿を撮り続けていこうと思う。
Daily life of Paris 2016 平久保雄大 パリ同時多発テロから少し経った2016年2月、 長年の憧れであったパリへとやってきた。美しい景観、地下鉄車内でパフォーマンスをする人など、その全てが私にとって非日常であった。 そんな沢山の刺激を受けシャッターを切っていると、ふとあることに気づく。 街の人々はまるでテロなどなかったかのように普段通りに振る舞っていることを。 私はそれを見たときパリの強さを感じたのと同時に、勇気づけられた。 そして、それに気づいた時、自分が持っていた恐怖心から解放されていったのだ。
秋の庭 山口 優 自分にとって大切なものって、どんどん変わっていくんだなって思っていた。 でも、変わってくのは自分自身なのかもしれない。 季節が巡って秋が来て、庭にオレンジのキノコが生えた。 去年はなかったやつ。そのキノコが気になって仕方がなくて、毎日写真に撮っている。あのキノコはきっと女の子。 来年も会えるかな。
RETREAT 中島ひろ子 大人になってから引っ越してきたこの家には、ノスタルジーも愛着もない。 都会で育ったから、不便な土地のこの家に、愛着など湧きようがなかったのだ。ただ寝るだけの場所。朝と夜しか知らなかった。 仕事を辞めて、朝から晩まで、この家にいることになった。 ゆっくりとした時間を過ごすうちに、家のなかにも、いろいろな表情があることに気付いた。 「家の中に撮るものなんてない」 と言っていた自分が、気が付くとレンズを向けている。 それから数年が過ぎて、仕事にも就いて、今はこの家を出ている。 しばらくしてこの家を訪れた時だ。突然、ここが「安心できる場所」であることに気付いた。相変わらず、懐かしさやスタルジーは感じない。 でも、それとは違う安堵感があった。 この家は今、安らげる場所となっている。
心地よい空気 中村 言実 朝起きて、着替えて化粧をして家を出る。 駅までの道のりは20分ほど。 帰りもその道をたどって戻ってくる。 目の前にはいつもの風景が広がっているのだけれど、 「あ!これ大好きだな」と思うと、立ち止まってしまう。 昨日も今日も同じはずの空気の中に、 何か特別なものが光っている時がある。 だから明日もその心地よい空気を感じたくなるのかもしれない。
Long Slow Distance × She is running 冨岡武 Long Slow Distanceとは、長い距離をゆっくりと走るマラソンのトレーニングのことだ。毛細血管まで血液が循環し、酸素が行き渡るにつれて五感が研ぎ澄まされてくる。光が見え、風の色が見え、水や花の匂いが見えてくる。 LSDは日常の光景を再発見する小さな旅なのだ。 そこで発見したなぜか気になる光景を再訪し、ときどき娘と一緒に走る。僕にとって彼女はトライアスリート仲間であり、写真モデルでもある。 子供の頃の記憶は、都合のいい部分だけが強化されて残るそうだ。 小さい頃から「大丈夫、写真を見れば思い出せるから」と彼女は言う。 この写真は何かを残すだろうか。 撮影はすべてiPhoneです。
Anyway Someway 清信一芳 周りを見れば誰もが真剣な顔をしている。 ある人は誰かの誕生日に引っ掛けたり、ある人は競馬新聞のマークを頼りにしたり、ある人は予想サイトの情報を仕入れたり、ある人はあてずっぽうに番号を選んだり、ある人はパドックで見た毛並みの綺麗な馬を選んだりして、誰もが自分はこの馬券を当ててやるのだと思っている。 この配当で何をしてやろう。 馬が走り出す。 腕を上げ、あらん限りの声を出し、ここからおれの馬が来るのだ。 一気に坂を駆け上がり目の前の直線を一番で駆け抜けていくのだ。 このままのはずがないと競馬新聞を握る手に力が入る。 歓喜と落胆。次のレースは逆かもしれない。 そう思った帰り道、気づくと馬の駆ける地響きが耳の奥に響いている。
KAKINOKI VILLAGE SHIMANE JAPAN JIKKA SCENES 03(Summer & Autumn 2016) -耳を凝らして見る- 七咲 友梨 山の生活は刺激がすくなくてシンプルです。 夜はとても暗闇になり、朝には霧がでて、よく見えません。 闇や霧のなかでわたしは、よおく見ようとしました。 そうすると、耳を凝らすように見ている自分に気がついたのです。 耳を凝らして見ていると、わたしの感覚はしだいに澄みわたって、 ふだん潜んでいるいろいろな気配が訴えかけてきます。 まるで違う言語で話しかけてくるそれらに集中すると、物理的な大きさの感覚がすっと消えました。 小さなものの大きなところ、大きなものの小さなところが見えてきたのです。
横木安良夫 双眼鏡の女 2016年の夏にCRPとして発表した作品。寺山修司系の劇団APB東京の公演のための写真の撮りおろしです。演劇というフィクションを、リアルな世界を切り取ることを求められている写真で描く。実は写真の解放は、フィクションといかに向かいあうかというとだと思ってます。フィクションの中のリアル。そんなことを楽しんでみてください。
あの日の彼 あの日の彼女 1967-1975 僕が大学の写真学科に入った18歳からアシスタントをへて独立する1975年まで、 プロになる前の写真をまとめたものです。無目的な写真。すべて国内で撮影された写真。 今見ると、写真と被写体との距離感、興味はこのころできあがったものだとわかります。